伏見憲明の映画評「バトル・オブ・セクシーズ」
「滑稽な者たちの挑戦だけが時代を拓く!」

 私のように1960年代の半ばに生まれた世代、とりわけ「オネエ」の入ったゲイの多くが好んだアニメは、『あしたのジョー』や『巨人の星』より、『アタックNo.1』や『エースをねらえ!』だったりする。男臭いスポ根ものよりも、「ひろみ、いくわよ!」「はい、お蝶夫人!」みたいな華麗にしてどこか切ない「女子スポーツ」に憧れたものだ。男性を性愛の対象とするゲイが、どうして「女子スポーツ」や「女性アイドル」に自己投影してやまない傾向があるのかは、それ自体、興味深いテーマでもあるのだが、私自身ご多分に洩れず、それらの漫画やアニメに多大な影響を受けた。

 ビリー・ジーン・キング夫人の名前を知ったのは、その「エースをねらえ!」の登場人物としてだった。架空のキャラではなく、実在の選手ということはわかっていたが、当時はまだ女子テニスは日本ではメジャーなスポーツじゃなかったはずで、実物よりも、作者の山本鈴美香が描くキング夫人の顔でその存在が脳に刻まれた。

 『エースをねらえ!』の連載は73年に始まっているから、まさに、映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』で描かれたキング夫人とボビー・リッグスとの対戦と同時期であった。私が知ったのは後年ではあるが、なんでトッププレーヤーがそんな滑稽とも思える試合をしたのかなあ…くらいにしか思っていなかった。が、今回、その背景やら、結果としてこの試合が興行としての女子テニスを盛り上がるきっかけとなったと知り、いささか驚いた。自分が幼かったころに雲の上を見上げるように憧れたのは、男子のプレーヤーに対して八分の一のギャラしかもらえない労働環境の現場だったのか!と。

 しかし時代は欧米や日本でウーマンリブの嵐が吹き荒れた70年代前半。アメリカでは1963年に、ウーマンリブの聖典と謳われたベティ・フリーダンの『新しい女性の創造』が出版され、以降、ウーマンリブの火蓋が切られた。日本でも1970年年、田中美津がウーマンリブの宣言「便所からの解放」を発表。彼女が率いる“ぐるーぷ闘う女”や、ピル解禁を掲げた榎美紗子の“中ピ連”などが世に跋扈し、運動を盛り上げていく。

 ボビー・リッグスなど『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』で女性プレーヤーたちを見下したり、その要求を拒絶する業界幹部の男性たちは、現在の視点から見れば偏狭な悪役にすぎないが、当時にしたらむしろそれが当たり前で、常識的な立場だったとも言える。それは男性だけの態度でもなく、男性と同じ労働条件や、性的な平等を求めるリブの声は、同性である女性たちからも嘲笑されることが珍しくなかった。私の母なども、そうした運動に対して嫌悪をあらわにしていたことを思い出すし、“ウーマンリブ”という言葉を子供時代に記憶した世代は、少なからずそこに揶揄のニュアンスを感じ取るはずだ。

 実際、田中美津は後年のインタビューで度々、リブがいかにバカにされていたのかを語っているし、彼女たちのような活動家の後ろに隠れるようにしていたお行儀のいいインテリの女性らへの恨み節を口にすることも躊躇わない。「“理論派”や“良識派”って『野蛮パワー』がないからね。あんまり人間しすぎちゃうと、どうしても『野蛮』パワーはなくなっていくのよ。(略)我思うに、ウーマンリブの最もすごいところは、野蛮に激しく拮抗する『野蛮』パワーを、運動として爆発させたという点だ。(略)ウーマンリブとは、いわば『会心の一撃』をもたらした者たちのことだ。そう、私らがいささかなりとも賞賛されるとしたら、それは私らが持 っていた野蛮な『なにクソ』パワーのおかげです」(『かけがえのない、大したことのない私』2005)

 日本では80年代後半、ウーマンリブは“フェミニズム”という言葉に意匠を変えて再び世間を賑わすことになるが、フェミニズムは、それなりに学術的にはなったが、論理が整理されることによってその「野蛮」さがそぎ落とされることになった、という怨嗟が、田中にはあっだはず。「野蛮」に沸き立つ行動こそが、社会を本質的に射ぬくことができる力だという信念を抱いているからだ。

 ビリー・ジーン・キングが男性との異性間マッチを受けて立った心持ちも、この田中美津の「野蛮」な心象とそんなに遠くないように想像する。冷めた視点で引いてみたら、それは滑稽にも映る試みかもしれないが、「会心の一撃」をもたらす「野蛮」さが彼女のなかにも横溢していたのだと想像する。それまで男性優位な社会において、さんざん理不尽な差別や侮蔑に晒されてきた一人の女性として、この一見、見世物小屋のようなショーの誘いを受けることも、避けては通れない、看過できない挑発に受け取ったのだろう。それが結果として自分たちにマイナスをもたらすことになったとしても、やらずにはおれなかった。だから彼女は必死に 戦い、勝った。そのおかげで、女性プレーヤーたちの可能性も広がり、女性の運動の背中を押すことにもなった。

 そう、この映画を観ながら私が深く確信したのは、滑稽な者たちの挑戦だけが時代を拓く、ということである。ある時代の社会条件のなかで、それとは異なる価値を企み、実践することは、軋轢と嘲笑を生み出さざるを得ない。それを最初に成した者たちはそもそも笑われる運命にあるのだ。誰かが斜めの笑いに晒されることでしか社会は変わり得ない。

 ただし、本作での、ビリー・ジーンの同性愛関係についての描き方は、主題として語るには物足りないはずだ。たぶん、キング自身もこの時点では同性愛に肯定的だったとは想像しにくい。なぜならアメリカでも同性愛は、この試合の4年前にやっとストーンウォール事件(ゲイバーを襲撃した警察に対して、女装のゲイらが抵抗し、暴動にまで発展した)で表沙汰になったばかり。現在のようなLGBTの運動の規模とはレベルの異なる小さなカウンターパワーにすぎなかった。また、ウーマンリブ運動のなかでもレズビアニズムが称揚されるようになったばかりで、レズビアンであることはまだ大方の当事者にとっても恥ずかしい、受け入れがたい属性だった。事実、ビリー・ジーンも男性と結婚し「夫人」となっていて、同性愛者としてカミングアウトをするのは離婚後のことだったという。

 なので、こちらの主題はまた別の「滑稽な者たちの物語」として描かれる必要があるだろう。それは本作の強引とも言える幕切れの後の挑戦として、再び映画化されることに期待を込めたい。

(初出:「キネマ旬報」2018.7)