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パヨクのための映画批評 57

セックス依存症 and the City 「シェイム」(”SHAME”、2011年、イギリス)

私はパヨクの家に生まれ、周囲に性に関することが一切ない家に育った。父の好きな映画が「寅さん」だったと言えば分かるかしら。山田洋二監督ほど、下半身のぐちゃぐちゃを描くことが苦手な監督も珍しい。「寅さん」の後の方の映画で、寅さんの甥が親切なおじさんに泊めてもらったら夜おじさんに襲われそうになった、という「ホモエピソード」をお笑いとして描いていたのがギリギリだったな。その反動なのか、ゲイとして覚醒し、最初の失恋等を体験してからの私は…。

さて、今回の映画は「SHAME」(恥辱)、別名「セックス依存症・アンド・ザ・シティ」です。数年前に「セックス・アンド・ザ・シティ」原作を少し読んだことがあるんだけど、自己責任論を煮詰めたような競争ストレスの強烈なニューヨークという時空で、成功した人々が刺激を求めて徘徊するっていう内容にちょっと驚いた(あの頃は私もまだマシだったなぁ)。ドラマはかなり方向を替えてラブロマンスにしたんだね。「イタい都会の女」位で収まってた。同じ時代のNYCでは、「めぐりあう時間たち」のクラリッサの抱えている「虚しさ」も背中合わせにあったわけだけど。アメリカにおける自由と平等の到達点として語られる同性婚議論は、本当はどんな意味があるのかしら。

さて、私の方は、メキシコ人彼氏と残念な形で別れちゃってからの数か月、埋められない寂しさを発展場やアルコールで誤魔化そうとした結果、社会生活に支障が出始め、そろそろどうかした方がいいよアンタ…というタイミングで本作を観たのはよかったと思う。

NYCに住むブランドンは、成功した独身のビジネスマン。夜な夜な売春婦を家に呼んでセックスしたり、チャットでセックスしたり、会社のトイレでオナニーしたり、ゆきずりのバーで知り合った女性とセックスしたり、最後の方ではまさかの場所(でも、絶対出ると思った)まで…という、対象が女性ってだけで、トチ狂ったゲイ(=2018年春~初夏の私)と同じような性の営みをしながら生きている男性よ。そこへ、関係のうまく行っていない妹さんが転がり込んでくる。うっとおしく思いながらも一緒に暮らしてみるが…

この主人公ブレンダンは、妹さんと過去に「何か」あったようで、それがあまりにつらいのだろう、妹と一緒にいると直ぐ口論になってしまう。彼女の人格を否定するようなことを次々に言うんだけど…彼女にぶつけてる言葉は、自分自身の後悔と恥辱と恐怖の反吐のような感じがするのね。

この人、高い社交スキルと、推計で私の10倍くらいの収入があるため、人生は順調に見える。見た目もハンサムだしな。でもそのハンサムな顔の向こう側にいる彼の本性が出てくるときの気持ち悪さったらない。自暴自棄が少し見えるのよ。

主演のマイケル・ファスベンダーさんは、「エイリアン・コヴェナント」でも冷たいアンドロイドの役をやり、まさかの自分クローンとのキスを演じちゃうぬめりのある俳優さん。本作でもそのぬめりがいかんなく発揮されていた。地下鉄に乗ってるときに、向かい側に座った女性をいやらしく値踏みする目ったら…ごめん、ここハッテン場じゃないから!!!でも私も、発展場や飲み屋等、然るべき場所でああいう表情してるんだろうな、やだなあ…。

妹さん(キャリー・マリガン)がクラブ歌手をやってて、「ニューヨーク、ニューヨーク」を歌うんだけど、「故郷の田舎の憂鬱な想い出も溶けて流れていく」「NYで上手く行けば、きっとどこでもうまくやれるはず」と歌ってるの聞いて涙がぽろりしちゃうブランドン。何思い出したんだろうね。

この妹さんは精神的に不安定なんだけど、敢えて「不安」に身を任せ、奔放に振る舞う。それがブランドンには自分の弱さや罪を鏡で見せつけられるような気になるんだろう。非常に落ち着かない。彼ね、女性と健全な関係を始めようとしても、ちっともうまく行かない。誘い方も唐突で下手。せっかくデートした女性が帰った後、同じホテルの部屋に売春婦呼んでセックスに励む背中の哀しさ。誰かも書いてたけど、この人物、セックスが全然気持ちよさそうじゃない。ポルノ鑑賞や売春婦やバーでの物色、挙句の果てにゲイのハッテンクラブに行ってまで埋めたいものは何なのか。でも決して埋まらないということは本人も分かっている。分かっててやってるから苦しいんだな。ちなみにそのゲイクラブの様子、観てるのが若干痛い。それが世界中の都会に暮らすゲイが最後に流れ着く場所に見えちゃうから。私だけぇ?

さて、来日外国人を狙うインバウンドハンター(安っぽい…)=私のフィールドワークによると、NYCには、「同性婚して夫がいるが、PrEP(HIV予防薬)を服用しながら地球の反対側で別の人と性行為に及ぶ、裕福な子持ちゲイ」というサンプルがいる。びっくりした。今地球上で本当に全てを手に入れた最強の人生は、NYCにあるんだね。同性の配偶者を持ち、その両方、或いは片方が家庭の外でランダムにセックスしながら、子供と愛情のある家庭を持ちSNSで子供の写真を公開するという生き方…何か強烈だったわ。愛の平等、結婚の平等を訴えたはずのゲイにとって、PrEPとは何なのだろうか。「PrEPを飲んでます」が、地球の反対側の出会い系のプロフに書かれていたりするらしい。日本でもたまにいるね。日本のゲイの出会い系常套句「大切な相方がいます」(ふーん)をはるかに超える人間の業を感じさせられたわ。私の方もどうかしていた時期なので、人のこと言えないわね。

あるラテンアメリカ出身の人が言ってた言葉が印象的:「(自分の国では)例え同性婚が認められたとしても、安全に生きられる条件を確保できるお金持ちのゲイじゃなかったら、ゲイでいることが危ないことに変わりは無い」って。セックスや健康や「愛の実現」や安全へのアクセスが、経済力によって左右されてしまう状況は、地球規模で考えたら、全然変わらないのだろう。人類が最も自由でいられる場所、NYCは人間の業の実験場ね。映画の方では、ブランドンの抱える苦しさが少し快方に向かうのかな?という感じで終っていた。さすがはイギリス映画。堕ちたままでは終わらせない。現実はどうあれ。

でもいいのよ、彼はNYCで生活できてるから!私もようやく落ち着いて来たので、TKCで身の丈にあった生活をするんだわ。ベランダで育ててるハーブを友達におすそ分け。別のお友達から引き取った金魚達を餓死させるわけにはいかないから、今日も真人間として頑張るの。ねえねえ、水槽の周りにメキシコのものがいっぱい置いてあるのはどうして?…びゅおおおお…そっかぁ…竹美、あんた、彼と結婚したかったんだねえ…

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。