パヨクのための映画批評 59

マッチョ男の目には涙が… 「ランボー」(”First blood”、1982年、アメリカ)

80年代は私にとっての失われた10年であり、映画評のネタも切れて来たので、最近は「80年代に学ぼう」運動をやっている。どうでもいいけどパヨクは何ちゃら運動が大好きね。それやらないと皆言うこと聞かないからだろうな。あと理由が欲しいんだよね。いつもそう。今ふと思い出したんだけど、「農業は大寨に学べ、工業は大慶に学べ」という中国共産党の有名なスローガンを昔我が家で何回も聴いたことがある…刷り込みって怖いわね。

さて今回の映画は、シルベスター・スタローンさんを80年代のトップスターに押し上げ、日本のハムのテレビCMに出演させ、シリーズ化したことで「バカ映画に出る筋肉の人」だという印象を強めてしまう主因となった映画「ランボー」。「3」じゃ、アフガニスタンでソ連と戦うついでにタリバン育てちゃうからね。第1作は全然違うよ。

ベトナム戦争終了から7年後。帰還兵のジョン・ランボーは、戦友の故郷である田舎町にやって来る。戦友は死んだと告げられ、何となく街を歩いていたら、街の保安官に言いがかりをつけられ、逮捕されてしまう。警察の酷い扱いを受け、隙を見て山に逃げ出したランボーは、警察を相手にたった一人の戦争を始める。

本作がとっても面白いと思ったのは、70年代の陰鬱な雰囲気を持つ映画に、80年代の「やたら爆発、やたら強い」という「タカ派」映画独特の場面が唐突に紛れ込んでいるような、ちぐはぐ感。1982年、何の躊躇いも無く敵を殺しまくる映画が大ヒットした時代の幕開けの頃ね。スタローンは脚本にも参加しており、ウィキペディアの記載から考えるに、より「タカ派」映画にしたかったのであろうが、全体があまりに悲痛なトーンなのでその要素は中途半端になり、却っていい映画になったと思う。たまに挟まるアクションシーンは、何かの間違いだと思えてくるわよ。ラストシーンの彼の演技は、これは申し訳ないがシュワルツェネッガーにはできないシーンだと思った。

最初数分で既に物悲しくてね…主人公は、戦争から帰って来てみたら、反戦運動に直面し、数少ない友達はガンで死んでおり(ベトナム戦争でばら撒かれた薬剤のせい)、仕事は与えてもらえず、田舎町を歩いてたら浮浪者だと言われて逮捕。何て人生でしょうか。一応設定としては、80年代男子の憧れ「特殊部隊グリーンベレー」の英雄ってことになってて、異様にサバイバルスキルが高いのだが、何かその描写が蛇足に見えてしまう。スタローンの肉体は確かにムッキムキでいかにも80年代の強さを体現しているが、むしろ前半とラストの彼の「無力さ」の方が印象に残る。警察の無礼な取り調べに、抵抗しつつも唯々諾々と従うランボーは、本当の意味で「国家のために人生を捧げた」人なのだと思う。不条理なのに、彼はそれを受け入れている。「アメリカン・スナイパー」の主役みたいに、ある種単純な男なんだと思う。

対する警察の方にも「正義」があるのよ。街の平和を守るのは自分達なんだという自負があるから。冒頭で街の人々に好かれてる保安官の姿が出てくる。

他方で、台詞のある役は全員男性、ということが大変面白い効果を生んでいると思う。男性映画として見ると、「狩る男達」と「狩られる男」と「全能の父親」のお話なのよね。町の警察官たちは、ランボーを手ひどく扱うんだけど、それは、「男」をいたぶりたいからではないかと思った。たまに来る「無法者」を追っ払ってやるんだという形で、自分たちの凶暴さと欲望を正当化しているように見える。ランボーを丸裸にして水を浴びせたり、「殴るぞ」と脅したり、特殊部隊上がりだと知っておもしろがったり、無暗に蹴りまくったり…2018年の竹美さんにとっては、┌(┌^o^)┐ホモォ…ホモクレェな欲望の波動を感じるが、それを全くそうだと思わずに描いている感じがいい。有名な話だと思うけど、ランボーが警察で暴れて脱走したのは、警察の酷い扱いが引き金となって、ベトナムでの拷問の記憶が呼び覚まされたせいなの。原題「First blood」とは、「あいつら(警察)が先にやってきたんだ」というランボーの台詞の中にある言葉。

それでさ、警察の方は、自分達が引き金を引いたんだということはうっすら認識してるからこそ、ランボーを狩ることに躍起になる。最初は面白半分で、権力を以て「無抵抗の男」をいたぶることを楽しんだ。でも、「自分の仲間たち」がランボーのびっくり応戦スキルで次々に傷ついていく中(そこはちょっとコメディ)で、自分たちのことを顧みるどころか、あいつに負けるわけにはいかないと怒りだすわけ。そして、これが重要なんだけど、その「男を狩る」状況を無意識に楽しんでるのだと思う。応戦の中で警官の一人の股間が傷つけられるように見えるシーンがあるのも意味があるんだろう。

ただ…やっぱり、警察の側にも彼らの正義があるというのはうっすら分かるの。完全な「悪」ではない。「キレた男性」は絶対悪なのかもしれないが。ウィキペディア情報によれば、本作は何人かの大物スターに役をオファーして断られたらしい。「警察に銃をぶっ放す役はできない」と断った人もいるそうな。今じゃ「警察は黒人を暴行する」という風な意味で警察の信用もガタ落ちなのかもしれないが、80年代においては、そこにいるだけで正義の象徴だったかもね。その警察を「悪」とは描けなかったんだと思う。対するランボーも、ベトナム戦争というアメリカの正義のために傷ついて帰ってきた人。哀しい同士討ち。

「全能の父」として現れる元上官(これも80年代男子の憧れ)は、訳知り顔をしている。ランボーを止めにやってきたのだと言うが、予想外の状況を面白がっているとしか思えない。「父親の期待の通りに動いてくれるランボー」を愛でるために来たんだわ。だから、100%彼のことを案じているわけじゃないし、地元の警察や州兵がランボーにしてやられるのを見て面白がっている。ラストシーンでランボーを優しく抱きしめるのは、子に対する憐みの感情であって、対等な共感ではないのね。だからあんまり涙も流さない。

パヨク的に観れば、アメリカという国は、常に一定数の国民の心と体をボロボロにしながら西へ西へと勢力を拡大する戦争国家なのだということがはっきり分かる映画。80年代末には中東にまで達した。ランボー自身も、「国家への忠誠」については1ミリも疑問を持っていないように見える。それは同時代のオリバー・ストーン映画ではどう出てくるかしら。次は「プラトーン」や「カジュアリティーズ」、お笑いホラーの「ガバリン」も観たいね。他方で「愛と何ちゃらのほにゃらら」みたいな邦題のメリル・ストリープが悶える感じの80年代映画も好きだな。

しばらく80年代で楽しめそうよ…ゴゴゴゴゴ…

 

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。