パヨクのための映画批評 63

家族の夢 「万引き家族」(2018年、日本)

「万引き家族」というユーモラスなタイトルの映画がカンヌ映画祭で最高賞を獲った時、ツイッター上では喜びの声と同じくらい、「そんな恥ずかしい映画で日本を語られたくない」という反応が出ました。たかが映画1本でそんな言わなくてもねえ…というわけで観てみることにしました。

「柴田家」の「父」は「息子」に万引きを手伝わせ、家計の足しにしていた。東京の下町の一軒家で「おばあちゃん」「母」「姉」と暮らしている「柴田家」。「父」は万引きの帰りの冬の寒い夜に、近所の家の前で一人遊ぶ女の子を見かね、彼女を「妹」として家に迎えて一緒に暮らし始める。終わりが来ると分かっていても「幸せな家族」をやりたかった人達の物語。

私は、「偽物の物語や嘘がホンモノになって行く」という映画が好きなんだけど、本作は、「この人たちの関係はホンモノなんだ」というだけでなく、「偽物の家族には偽物と言われるだけの理由がある」という感じもした。それは「愛情のある家族が世間によって引き裂かれた」という風に描かれていたんだけど、観てからだいぶ時間が経ってみると、果たしてそう観るだけでいいのかしらという気がしてきました。

「姉」役の松岡茉優さん、好きだわ。今年の竹美映画ランキング2位の「勝手にふるえてろ」でも、ちょっとこれ本人の素じゃないのかと思うほどATフィールド全開女の役がよかったけど、今回も素晴らしい。是枝監督の映画に出る女の子はみんな美しく撮られている。

監督、私を撮って!!!!私から意外な側面をぉぉ引き出してええええ(できれば処女の超能力少女(=私)が初体験を迎えて能力を開花させるやつをひとつよろしく頼むぞ)。

他方で、たった一人、廃棄された自動車の中で暮らしていたところを拾われた「息子」の祥太は、妹(リン)という大事な存在ができたことで却ってその家族のありようの「正しくなさ」に目が行き、疑問が膨らんで行ってしまう。その一方で、リンはニセモノ家族の中に、確かに本当の安らぎを見ていた。そのすれ違いは切ないし、二人の子供達をそれぞれニセモノ家族の犠牲者と見ることもできる。だってリンは、元のネグレクト家族に戻されて、ニセモノの愛情をずっと恋い焦がれるわけだから。他方、翔太は最後のシーンで、父のことを振り返らない。意地にもなるよね。自分が騙されてたと思ってるから。

樹木希林の演じた老婆が一番のワルだと言ってる人もいたわね。その時はそう観る理由が分からなかったけど、確かに一番悪い人なのかもね。皆を利用したとも取れるから。

最後の方に出てくる、ある人物の「あの子達にはこの形ではダメだったんだ」という趣旨の台詞は痛かった。この家族は、所詮大人たちの身勝手の産物なのだという結論に自分で達して、一つの夢の終わりを受け入れた。「お母さん」(安藤サクラ)が「あの二人はあなたを何と呼んでいたの?ママ?お母さん?」と警察に詰問されて言葉に詰まっちゃうとこも切ない。詰問する池脇千鶴さんのきつい感じが最高。彼女にも正義があるからね。

ところで、本作の前に「フロリダ・プロジェクト」という、アメリカの底辺家族を描いた映画を観たの。お金と教育が無いが故の哀しさを明るく描いた映画だったけど、最後の方で、子供と引き離されそうになった髪の毛水色のぶっ飛んだママが「FUUUUCK YOUUUUU」と叫ぶ。叫ぶ口のクローズアップで、自分の人生への怒りと世の中への怒りが二重写しになっていた。自己責任論の強そうなのは、アメリカの中ではニューヨーク位なのかもしれぬ。底辺の個人の口から社会批判が噴き出す描き方が面白い。「モンスター」でも、鬼婆になったシャーリーズ・セロンが唐突に社会批判の演説をぶち始めるシーンがある。私、あのシーンには、教養の無い主人公が突然そんなこと言うかなと違和感を持った。でも、そういう表現を通じて映画の作り手は「あんた達は悪くないんだ」と寄り添っているのかもしれない。また、自己決定の意思(それは身勝手さとも言う)は強いが、自己責任論が内面化されていない人々のありようなのだとも思う。それらに比べると、やっぱり日本映画、「社会の仕組みへの怒り」が控え目。登場人物は誰一人社会批判を叫ばない。皆、自分の運命と境遇を「自分が悪いんだ」と最初から受け入れる準備が最初っからできている。バブル経済が終わり、平蔵改革とゴーマニズム宣言を経験した日本の今かもしれないね。と、映画を観た直後は「日本ってやあね」というニュアンスが強かったんだけど…世の中の一員として責任ある行動をすることだって、同じくらい大事だとも思うのよ。

本作と「フロリダ」を一緒に観に行った友達(アメリカ人)と色々話をしていて「本当の家族って何?」と訊かれて私も詰まった。「外の人に自分たちの関係をそっくりそのまま言えて、隠す必要が無い状態」だと回答してみた。でもそれは私の定義でしかないのよね。日本では、家族というのは規範や道徳の象徴であり、必ずしも「愛情の源泉」として想定されていない。仕事みたいなもんかもね。ツイッター読んでると、「家父長制や「伝統的」家族の押し付けや形だけの「愛情」はいらねえ」という怨嗟の声が聞こえる。まるで会社への文句のようね。

本作の「「昭和家族の成れの果て」というぼろをまとった日本人」という姿は、現状「昭和家族」に満足してる多くの人には何も引っかからないかもしれない。気の毒な人達の映画ね、で終るのかも。

誰も、家族と自分の身体は選べない。私だって「何でパヨクの家なんかに生まれてまんまとパヨクなんかになって、人生が生きづらくてしょうがないわ!」と思ってたわ。父にそれをぶつけたことまである(クズな竹美)。でも父の傷ついた目を見て後悔したわ。父も老い先短いんだから、子はそんなことぶつけずに、幻想を持ったまま逝ってもらうべきなのにね。全く以て私は正しくない。でも私はパヨクの子だからこそ、昭和家族の否定を歪な形で実践したんだよ…ゴゴゴゴゴ…確かに旧来の家族のありようは我が家では打倒されたのだ…

 

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。