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伏見憲明の書評

赤岩州五 著『盛り場の歴史散歩地図』(草思社)

 小学校の低学年だった頃の記憶だが、父の背広のポケットにマッチ箱を見つけ、それをなにげなく母に渡した。すると、母の顔が急に険しくなりそれを慌てて隠したのだが、そこに「西川口 トルコ」という文字が入っていたのを子供の目は見逃さなかった。一九六〇年代、父は川口市の零細企業に勤めるサラリーマンだったから、きっと、そんな風俗にも気晴らしに行っていたのだろう。以来、西川口といえばトルコ(現在でいうところのソープランド)というのが私のなかに刻まれたし、実際、西川口はソープ街として世間にも知られていく。

 長じて、私は性の問題に関心を持つようになったわけだが、西川口は旧中山道にあった色街の伝統を受け継ぐ宿場に違いないと勝手に思っていた。ところが、数年前、地元で育った方と話す機会があり、かの地のトルコは高度成長期に田んぼのなかに突然できたものだと聞いてびっくり。調べてみると、鋳物工場などが盛んだった川口の労働者を目当てに作られ、高度成長とともに発展した風俗街、というのが真相らしい。まさにうちの父のような男たちの需要に応えるための街が西川口だったのだ!

 前置きが長くなったが、盛り場というのは(よくも悪くも)その時代の性の一面を映す鏡のようなものだ。私たちが暮らし、働き、遊交する街は、ひとの性によっても形づくられ、色づけられている。むしろ性は空間の構成にとってかなり重要な素である。ということを視覚的に教えてくれるのが、本書『盛り場の歴史散歩地図』だ。昨今、古地図などを探って街を探索することがブームになっているが、こちらは新宿、渋谷、原宿周辺の盛り場の変遷を、興味深いエピソードとともに紹介してくれる。

 そもそも新宿は、江戸時代に設けられた宿場だった。現在の新宿二丁目辺りが発祥で、宿場につきものの飯盛り女といわれた売春婦もいて賑わった。それが遊郭となり、戦後も赤線(青線)として栄え、売春防止法の施行以後、いつしかゲイバー街になった。新宿を形作る原動力は、まさに性そのものであったといい。

 一方、新宿でも歌舞伎町は戦後の盛り場にすぎず、明治の頃などはまだ鬱蒼とした樹木が生い茂り、沼があり、そこから川が流れ出る牧歌的な風景が広がっていたという。現在のような繁華街となったのは、戦後も二丁目が廃れた昭和三十年代以降というのだから、街は生き物のように変化し、その姿を変える。

 また戦後の闇市は新宿から始まったとされるが、その自由でアナーキーな空気のなかで、四七年、日本で最初のストリップショウが行われたのもこの街である。空襲で焼け残った帝都座(伊勢丹の向かい側)で「ボッティチェリの名画に見立てて、裸の女性がこの額におさまるという趣向だった。モデルは動くと公序良俗を乱すとされ身動き一つできず胸も手で隠した」。

 さて、渋谷の地図では、もはや日本の文化、この国の一大「風俗」といっていいジャニーズ事務所の出発についても、進駐軍の「米軍家族居住地」との関係で触れられている。現在、代々木公園、代々木競技場、NHKがある広大な地域がそれに当てられていて、当時、日系人としてそのなかで働いていた(と思われる)ジャニー喜多川氏が、米軍家族と、近隣住民との交流のための少年野球チームを結成した。そこに近所の代々木中学に通う少年4人が入ったことが、「ジャニーズ」が誕生するきっかけになったという。なんという地理的偶発性!

 想像外の過去を知ることで、脳内の歴史地図は書き換えられる。性を考える上でも、街の配置から過去を検証することには意味があるだろう。土地の古層に眠る性を掘り起こすことで露わになる視界には、否応なしに人間のグロテスクな欲望が浮き上がって見える。

伏見憲明
(初出・日本性教育協会 )