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パヨクのための映画批評 65

「そいつ」は、ずっとずっと、ついてくる。
~「怪物はささやく」(”A Monster Calls”、2016年、アメリカ・スペイン)~

映画を観てもすっきりしないときは、自分では気がついているけれど直視したくない「真実」を告げられているんじゃないかなあと思います。

今回はパヨクとはあまり関係の無い、私にとって思い出したくない昔を思い出した映画を取り上げてみました。ファンタジー小説「怪物はささやく」の映画化作品です。

末期の癌に冒された母と二人きりで暮らすイギリスの少年、コナ―。学校では虐められ、厳しい祖母とは疎遠。離婚してアメリカに住む父親の気持ちも理解したくない。お絵かきだけが趣味の孤独な彼の元へ、ある夜、イチイの木の怪物が訪れ「これから3つの物語を話してやる。それが終わったらお前の真実を語れ」といきなり告げてくる。何のことやら、と動揺するコナ―だったが…

コナー役の男子が薄暗い顔しててね、こりゃああんた、将来は殺人犯かねという顔つきなのね。同級生に虐められてても、抵抗もせずただじっと耐えているだけ。厳格な祖母役は何とシガニー・ウィーヴァー様よ。宇宙でエイリアン退治したりゴリラ守ったり、ロボット兵器会社経営したりという日々から引退、途中からほとんどノーメイクで、病に冒される娘を気丈に見つめます。そして何かとコナーと折り合いが悪い。

怪物の語る三つの物語というのが、何ともへんてこで、「何だそりゃ」というような唐突な展開です。善も悪もはっきりとしない、ただ、その都度「そうすべき」と直感した判断に導かれてただ生きている、影のように頼りない人間の生き様が浮き彫りになるお話ばかり。

コナーを虐める男子も何とも奇妙。じっとコナーを見つめ、まるで恋しているかのように執着する。どうしてコナーに腹が立つのか…彼には彼の真実があるのでしょう。でもそれはまた別の物語。

本作を根底で支えているテーマは、映画本来のテーマから外れちゃうんだけど、「怒りの暴発」。どす黒い怒りが夢の中で暴れ回る…そんな夢、観たことありませんか。私は今もたまにある。家の中のものをメチャクチャに壊してしまう夢や、言ってはいけない酷い言葉を相手にぶつけまくり、心を傷つけてやろうと興奮している夢を。目覚めたらその乱暴さ・凶暴さに戦慄、自分で怖くなって顔が火照ってしまう。でもそれは…私のもう一つの真実なのではないかと思う。自分の中にある攻撃性の原因は分からないけど、そのままパヨク界に行ってたら、本当にただの人権チンピラみたいになっていたのかもしれない。オネエがチンピラって笑っちゃうけど、私にとっては全く笑えないのよ。割と意思の弱い私は、思想の影響から脱することができないこともあり、状況次第で人間、どうにだってなりうるという気がしている。自分でもそれは怖い考え方なんだけど、ホラー映画の怖さ(でもあり滑稽さ)はそこに関係していると思う。

本作では、コナーが猛烈な怒りを爆発させるシーンが何度かあり、正直観ていてつらかった。私も忘れていたんだけどね、小学生の頃、私のことを「おとこおんな」としょっちゅうからかっていた(と記憶している)学年下の女子2名がいたのよ。私はある日、石を投げつけて一人の顔に怪我をさせてしまったわ。女の子の顔に傷つけた凶暴なおとこおんな、それが私。それ以降彼女らが私に近寄ることはなかったけれども、もし目玉にぶつかって失明していたら…今でも動揺で顔がかっと熱くなる。それだけではない。私の家の80年代は、隠れ革命活動の家にありがちなのでしょうが、うちの中はストレスが連鎖していて、あんまりいい状態じゃなかった。常に誰かがイライラして八つ当たりしていた。その連鎖に自分も加担してしまって、妹を叩いたり、突き飛ばしたり、そういうことを家でやってたし、小学校3年生だったかな、日記にも「妹が憎い」と書いていたことを今でも忘れない。思い出したくないけど、誰のせいでもない、紛れもなく自分の一部だし、一生ついてくる私の亡霊なのだと思う。子供の時なんだからしょうがないのかもしれないけどね。でも、何かに猛烈にイライラしてしまう度、そういう種類の「嫌なモノ」が自分の中に潜んでいて、常に出口を探しているんじゃないかなと怖くなる。今は手綱をしっかり持ってるからいいけれど、手綱が弛んだら何が飛び出してくるか分からないし、自分が同じでいられるなんて思えない。

さて、コナーの「怒り」は、嫌な現実から目を背けるための一時避難の場所として機能している。病床の母は言う:「これまで生きてきて、今ほど申し訳ないと思ったことはない。そしてこんなになってしまったことに怒ってもいる。コナー、怒っていいのよ、モノを壊したいなら壊しなさい」。母親ですら感づいてしまう激しい怒りの向こう側にある、コナーの真実は、これは私の体験とは別に、胸に刺さりました。これについては観ていただくしかない。

近しい人が病んだりけがをしたりして、それまでと同じではなくなり、決して元には戻らないと知る時…周囲の者は否が応でも「直視したくない現実」を突きつけられる。その「見たくない現実」が一番分かりやすい「自分の外の怪物」なのかもしれない。もっと広げたら、世の中の特定の事象に対する不満だって、対峙している人にとっては「怪物」。「怪物」の存在を許容してしまうことは自分の敗北だから、多くの場合、人間は徹底して抗う。でも抗っているうちに自分の中に「怒り」「悲嘆」「思い込み」…という「自分の中の怪物」を孕んでしまうことがある。それは自分で付き合い方を学ばなければ、コナーのように、いつか暴れ出してしまう。

私の好きなホラー映画やダークファンタジー映画は、そういう種類の「自分の中の怪物」に飲み込まれてしまうお話か、「外の怪物」または、「中の怪物」を撃退するお話なのだと思う。大半のお話は制圧に成功するし、そうあって欲しい。本作でコナーは「外の怪物」と対峙することによって、自らの真実と向き合うことになる。それはまた、コナーの中の「自分の本音」を認めることだった。でも「コナーの中の怪物」=「とめどない怒り」の方は、行方は分からない。状況次第でまた舞い戻って来るんじゃないかと私は思ってしまう。

何か自分で言っててもややこしいわ。そこらじゅうに怪物がいるみたい。

普通の感動ものを求めて鑑賞したのに、意外にも自分の嫌な部分を「怪物」に見つめ返される映画だったから、書き始めてから終わらせるのに1年かかっちゃった。いつか、私も「自分の怪物」に追いつかれるのかな。その時に対決する力が残っているかしら。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。