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パヨクのための映画批評 66

あなたのいた風景
「マダム・イン・ニューヨーク」(”English Vinglish”、2012年、インド)

2018年はインドブームで1年が終わりそう。インド関連本を次々に読んでる。『インド 解き放たれた賢い象』というインド人エコノミストが書いたインド経済論の本では、独立後から1991年までの計画経済=社会主義路線時代の「失策」が紹介されていた。初代インド総理ネルーはじめ、あの時代の多くの知識人や政治家がマルクス主義を本気で信じていたのはインドも同じだったのね。確かにル・コルビジェに都市を設計させたりしたもんね…植民地だった経験は無視できないものの、マルキシズムの慰めからは誰一人逃げられなかったんだなあと感慨深かった。経済の自由化や外資の導入や、市場経済が国内の圧倒的な貧困を解決するとは誰も信じなかった、と書かれている。ソ連崩壊後、91年以降のインドは経済の規制緩和が功を奏して経済が成長し、分厚い中間層が生まれたと言われます(貧困の短期間の解決がゴールとされなくなったのがグローバル化時代の経済論の特徴ね)。豊かになった大衆向けに映画産業が発展・高度化し、質の高いインド映画が次々に来日するようになる中、今年の日本での「バーフバリ2」ブームがやってきた…同作の一番人気の役者さんが来日するという奇跡ゴゴゴゴゴ(ファン達は今正気ではないからね)…という風に捉えると、私の「バーフバリ」との出会いさえも、パヨクの歴史から考えると意義深いことだったのね。

今回は、計画経済時代を覚えているはずの、インドの都市に住む主婦に訪れた大きな変化の物語です。

専業主婦のシャシは、得意のお菓子作りで小さな商売をするのが目下の楽しみ。でも、忙しいビジネスマンの夫は全く関心を持ってくれず、「お菓子は自分のためだけに作ってくれ」と、善意のつもりで言う。上の娘は生意気盛りで「お母さんが英語ができないのが恥ずかしい」と怒る。そんな家族の中で「私は古風な女よ」と言いながらも、変わりゆくインド社会の空気を感じ取っていたシャシは密かに傷ついていた。そんな折、アメリカに移住して成功した姉から、娘の結婚式の準備を手伝って欲しいと連絡が来る。5週間だけの予定で、英語もよく分からないまま行ったニューヨークで戸惑うシャシだったが、一念発起して英会話スクールに入学、新しい世界が開けていく。

インドは今や、所得や社会階層の上昇と、英語の運用能力ががっちり結びついている段階になっているのね。娘と父が、シャシが英語の発音を間違えるのを聴いて二人で笑うところ、それを観て内心傷つくシャシの表情はいたたまれない。些細なジョークのつもりが、シャシの中で「私なんて結局誰からも尊重してもらえないのだ」というやりきれなさと諦めに育っていく。娘は学校で優秀な成績を取っているのだが、学校の面談で父の代わりに母が行ったときの嫌がり方が結構強烈。これは傷つくわ。シャシの姑の台詞の通り、「あの年齢の子供はみんな親を恥ずかしがるもの」なんだけどさ。

他方でニューヨークに降り立ったあとも面白い。英語の分からないシャシがカフェに行っても、話が通じず店員に意地悪な態度を取られ落ち込んでしまう。かと思いきや、親切にしてくれる人もいたりして。

皆が英語で会話している中で、自分だけ分からなくて笑えないけど何となく合わせて薄笑い浮かべるという経験…一人逃げ出したシャシのいたたまれない気持ちは、語学を頑張った人なら皆経験してることね。

もう一つ面白かったのが英会話の先生。NYCのやや主流からは外れてそうなゲイだよ!ジムとか行ってなさそうな、蝶ネクタイしちゃう姐さんで直ぐ不幸の影が迫るの。クラスの皆が噂する:「先生、彼氏と別れて相当落ち込んでるんだって…」。ゴゴゴゴゴ。パキスタン人の学生サルマンカーン(同名の著名なボリウッド俳優がいるのはご愛嬌)が「ゲイは傷つくわけがない」と意地悪なことを言う。それに対してシャシは「あなたに彼が変に見えるのなら、あなただって彼から見れば変よ。でも心の痛みは同じ。意地悪言うのは止めなさい」と諭す。彼女は傷つくことの辛さを、言葉の通じる身内に対してさえ伝えられないのにね。

ラストシーン、姪の結婚式でシャシが英語でスピーチをするんだけど、家族にないがしろにされている自分を差し置いて「家族はあなたのことを絶対に笑ったりはしない。家族はいつでもあなたの帰る場所なのよ」と言うところが刺さった。それは彼女の願望でもある。家を出ていく選択肢だってあるとはっきり描かれているけれども。女が家から出ていくことだけが正解だとは言わない映画なのね。そのバランスね。

家族とインドに戻ったシャシは、主婦として、母としての生き方を変えずに、一人の人間として尊重されるようになるのかしら。変わって行くインドと、変わらないインドが、ラストシーンの自信に溢れたシャシの表情に現れていた。本作が遺作になってしまったという主演女優のシュリデヴィさん、初めて知った方だけど本当に素晴らしかった。

他に、冒頭のテロップ「インド映画誕生100周年を祝って」に感激した。インド映画のおかげで、世界は色々で、正しいことも正しくないことも全てひっくるめて価値があるらしいと分かった気がする。

最後に思い出を語るわよ。優秀な主婦で母親なのに全く顧みられない女性の心情…これは私の実家も同じだった。私の母は、仕事も家事も何でも人一倍こなしたけど、病気で寝込んでも、他の誰も何かしようとしたりしなかったのを覚えている。共産党員の父がいて、優秀な母は父より稼いで、家事は「父がやりたい家事」をやって、他は全部母任せという矛盾があった。父は、社会変革に参加することで生き甲斐を見つけた代わりに、家庭は民主化できなかった。担任教師の紅衛兵気取りだった小学生の私もやはり、何も変だと思っていなかった。これが九州の末端パヨクの家の現状。こんなもんなのよね。

冒頭で、本作は、監督さんが自分の母のことを考えて作った映画だというようなテロップが出る。監督さんの家ではどうだったのかしらね。私の家では結局実現することはなかった夢の物語。生き残った家族は、時々死者を思い返し、この人生を与えられた幸運を抱きしめるのみ。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。