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パヨクのための映画批評 67

酔っ払いおじさんを救え~「ミステリーロード2 悪徳の街」
(”GOLDSTONE”、2016年、オーストラリア)~

 

何か疲れちゃって、ここ半年程荒んだ生活をしてきた私が今日まで生きられたのは、本当に周りの人達と日本という国のおかげなのよね…と自分の幸運を想います。見まわしてみれば皆まともに生きているように見える。facebookとか、私、5分以上続けて観られない。眩しすぎて、自分の後ろにできる影の濃さと長さに怯えて直ぐバタッと閉じ、寝言の王国ツイッターに耽溺する。

今回取り上げるのは、人生に絶望しちゃった酔っ払いおじさん刑事の救済の物語。そしてパヨク映画評初のオーストラリア映画です。第一作「ミステリーロード 欲望の街」の方がスリラー映画として評価が高いようなんだけど、私は、主人公おじさんの泥酔ぶりが他人とは思われぬ「パート2」の方が気に入った。

私も救われたいッ!!!

砂漠の真ん中にある金鉱山の街に、薄汚い身なりの男がやってくる。酩酊状態で車を運転していた男を逮捕した刑事ジョシュは呆れる。その酔っ払いは連邦警察の命を受けて行方不明の中国人少女を探しに来た刑事ジェイの変わり果てた姿だった。先住民居住地区での金鉱開発を巡る陰謀渦巻く小さな田舎街を舞台に、人々の飽くなき欲望と、先住民族やマイノリティに対する収奪、そして欲望に身を任せた孤独な人々の上に現代社会が成り立っているのだと淡々と伝える。

十数年前、コメディと思って観た初めての豪州映画「ミュリエルの結婚」の後半の堕ち具合にショックを受けて以来、「豪州映画は何か怖い」という印象を持っている。あの映画、後半行き先の見えないホラー映画だもん。

本作や、「マッドマックス」に出てくる、オーストラリアのだだっ広い砂漠を車が一台走って行くシーンは壮絶。遠くの方から土埃を上げて、自分の命を狙う者が迫って来ているのが見えるのに、広い砂漠の真ん中でどこにも逃げられないという怖さ。カイリー・ミノーグ呼んでゲイのお祭りをする開放的なのは沿岸部の都市だけ、国土の大半を占める内陸部は厳しい自然と人間、人間と人間が真正面からぶつかり合う乾いた空虚なのだと思う。その中で人々は彷徨ったり、行き倒れたり、湧水を見つけたり、そしてまた失って…そういう人間の哀しさとかすかな希望を描くにはぴったりのロケーション。似たロケーションを持ちながら、徹底してゲスくて救いの無い良作スリラーが次々に出てくるアルゼンチンとはまた一風違うのね。

刑事ジェイは、パート1ではちょっと陰のあるハンサムな新任刑事だったのに、パート2では、ザンバラ髪で薄汚いタンクトップにサンダル、顔の周りにはいつも蠅が飛んでいるという有様に。那覇の国際通り等でたまに見かける、仕事をしてなさそうな南国のおじさんがゆったり歩いている様子そのまんま。とか言いながら、何故か他人とは思えない。

本作と前作の主演男優と監督・製作が先住民の出身であることが、本来のこの作品を更に印象深くしている。オーストラリア先住民に対しては、強制移住させたり文化を捨てさせるような政策がつい最近まで行われていたのですって。沢山のものを奪われた現在のアボリジニー社会は、失業とドラッグとアルコールと貧困の中にあり、そんな人々の前で金鉱採掘会社の責任者が「金鉱開発は、若者にまともな仕事を与え、彼らをドラッグから引き離せる」「皆さんの文化を尊重する」と演説する。その土地の開発の許諾は住民の代表から得なければならないけど、そう簡単には応じてくれない…となれば、無理にでも署名させる圧力がかかるは明らか。北米先住民の哀しみを描いた佳作「ウインド・リバー」と同じく、周辺化され忘れられた人々に起きる事件は誰もまともに知ろうともしない。更に本作はもう一つのマイノリティ、生きていくために買春に巻き込まれる現代の中国人の少女たちにも焦点を当てている。

大企業によって今なお土地を奪われたり、或いは尊厳を傷つけられる人々、それによって儲ける人々、見て見ぬふりをする人々、それに加担する人々、適応する人々の姿。そして、マイノリティ相手の汚れ仕事をさせられるのは、マイノリティ自身なのだという哀しさ。「世界は変わらない。私達が合わせるしかないのよ」と憤りを宿した中国の少女を諭すのは、苦難を潜り抜け、「悪」にすり寄る他無かった中国人女性なのよ。

ジェイと対立する女町長モーリーンは、欲望に目ぇ見開き過ぎで怖い(ジャッキー・ウィーヴァーすごい)が、厳しい環境で、彼女なりに奮闘しているのだ。「悪」を引き受けた彼女が夕暮れの砂漠でひっそり恋人と逢引する姿はどうしても憎めない。

すっかり人生を投げ捨てているジェイは、仕事だけで世の中と繋がっているので、捜査が進むとちょっと身なりがマシになるの。しかしふとしたことで、自分の意外なルーツを教えられ、心の拠り所を見出す。その流れは唐突だけど、救いが欲しいときがあるのよ…

というように、本作、人の描き方がとても優しい。拠り所を見出したジェイ、ジェイと関わることで自分の生き方を見つけた若い刑事ジョシュ、ジョシュによって自由を手にした少女、ジェイが捜していた少女の無念、あと一歩で「心の拠り所」に辿りつけず、再び人生を放浪してしまう人物、向けていた銃を下して去って行く金鉱の警備員…ラストシーンのジェイの表情からは、彷徨う人たちもいつか、その人なりの道を辿って砂漠の中の湧水を見つけるだろうと思えた。

前の日と同じ服を着て、ゴミ屋敷めいて来ている散らかった自分の部屋に二日酔いで佇む39歳。「心の拠り所」を有り余る程与えられているのにこの有様の私、果たして40歳になった時、不惑の心境に至れるのかしら。無理だろうな(笑)。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。