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パヨクのための映画批評 68

こじらせテロリスト~
「アンブレイカブル」(”Unbreakable”、2000年、アメリカ)~

 

著名人がLGBTのどれかであると公表する際、「同じ境遇の若者を励ますロールモデル」と称賛されることがよくある。でも、太平洋の向こうから流れてくる同性間プロポーズ/結婚式動画が最近本気でツラく感じる私と、アップルのCEOやら水泳の世界チャンピオンやら、かわいいガチムチ熊映画監督との共通点って…男性に惹かれる地球生まれの男性っつーだけだよ(奴らはゲイ・ギャラクシア星からゲイ・プロパガンダを広めるために地球に降り立った侵略性宇宙人なのだ…という陰謀説も魅力的だが)…あれはダメ人類(の中のダメなゲイ)へのチャリティー。

ありがたや!!!この酒場好きの賤しい私めに施しを!!!!

そんな脳内一人田舎芝居を打ちながら、私は「この人がいるなら私も頑張れる」という強い憧れを実在の人間に対して感じたことが無いことに気が付いた(尊敬はある。でも憧れとは違う)。だからロールモデルに向かって努力した記憶も無い。…私がロールモデルに向かって努力できる立派な心がけの健全な人間だったならば、40歳で渋谷区に実業家パートナーとマンションを購入して、パートナシップ何ちゃらに登録を申請しているか、同性婚で太平洋かユーラシア大陸を渡って小商いでもやってるはずだ。でも、私は、先回の「ミステリーロード」みたいな映画を観て「酔っ払いおじさんも救済されるから私はこのまんまでいいや」と低い方に流れるタイプな上、空想の世界にしか憧れを見いだせない。

今回の映画「アンブレイカブル」は、「私のロールモデルは実在しない」と悟った瞬間に、「漫画の世界に憧れたオタク男がおかしな運命を辿る未見の映画があったような?」と思い出して2時間以内に観た映画です。

大規模列車事故からたった一人無傷で生還したしょぼくれお父さんのデイヴィッド。子供の頃から体が弱く、不自由な生活をしてきたコミックマニアおじさんのイライジャは、彼のことをニュースで知り、デイヴィッドはホンモノのヒーローなのかどうかと確かめようとする。すると、デイヴィッドの中で眠っていた力が覚醒。もしかして自分は本当にヒーローなのではないか…

本作観て、昨年のタケミ旬報第1位の「皆はこう呼んだ「鋼鉄ジーグ」」の世界観は、ちょっと道を間違えたらとんでもないことになるという絶妙なバランスの上に成り立っていることに改めて気が付かされた。

社会生活に不自由を感じながら育ったイライジャは、コミックの世界に耽溺している。他人とは思えなかったわね。ほら、私って暴力性を秘めたオトコオンナで、無自覚の紅衛兵だったじゃない? 親や先生からの承認欲求に飢えていた身の程知らずの私は、代償として超能力・不思議少女に同化しようとした…私だって念じたらモノが空中に浮いたりして欲しかったわよ…(「キャリー」)。テレビの砂嵐画面を通じて異世界と通信したり(「ポルターガイスト」)、ドレス着て魔法の国の迷宮を彷徨ったり(「ラビリンス」)、虫さんとお話したり(「フェノミナ」)、超能力で人助けしたり(「エスパー魔美」)、グレムリンに追っかけられる健気なフィービー・ケイツになりたかったわよ(実際には小学校のドッヂボールやマラソン大会や学級会が、貴様の糸のように薄い目を開かせ、現実を観よと迫っていたのだ…が、貴様は気が付きもしなかった…クククク…つくづく無様)。そういう根暗でグジッグジした人の気持ちを本作の監督、M・ナイト・シャマラン様(インド・タミルナドゥ州出身。今年はインドに因縁感じる)は100%以上分かっておられると見た。そんで、そういうグジッグジした40代くらいのコミックオタクをサミュエル・L・ジャクソンが不吉に演じる。

本作の製作された2000年頃って、まだまだヲタクなんて金を産むマーケット・クリエイターとはあまり知られていなかった頃よ。電気屋のパソコン売り場等に胎動はあったけど。「ソーシャルネットワーク」のヒットって、君らに気づくの遅くてごめん、っていうことでしょう。本作冒頭では、沢山のアメリカ人がコミックに耽溺してるんだと説明する。更に、日本の漫画やアニメって、当時はほぼポルノという意味だったことが、本作の漫画屋店員の台詞に出てくる。でもさ、昨今の萌え絵論争とか見ると、そもそも日本って、ポルノとそうでないものをはっきり区別しない社会なんだと思う。「触手で犯すという描写を発明したのは日本人」とアメリカ人のガチオタの元(元)彼が証言していたのには信憑性がある。

対するデイヴィッドをブルース・ウィリスがやるのも面白い。彼は奥さんとうまく行ってない、ちょっとしょぼくれた父親なの。ブルース様って、「ダイハード」では上半身裸でやらしい挑発ポーズをして、世界のマッチョ好きゲイの心をかき乱した後は「永遠に美しく」とかで印象の薄い男を演じた。元々の持ち味がちょっとしょぼくれてるもんね。デイヴィッドは、ヒーローらしいことをやっても戸惑いを隠せないし。なのに、暗闇にたたずむ姿がちょっとシガニー・ウィーヴァーに似ている。この映画、シガニー主演で作っても面白かった題材では。

この映画の肝は、体の弱いヲタクがコミックの世界で自分の「生きづらさ」を解消しているうちに、予想外の「自分の使命」に開眼してしまうところ。哀しい狂気の物語のようでいて、妙に論理的なので本人に後悔が全く無いのが怖い。厨二病のみならず、生きづらさをこじらせた者が現実の中で開き直るとテロリスト予備軍になるのだという皮肉をシャマラン監督は分かっておられたのだと思う。

個人の「生きづらさ」を現実の中でどう転換するか。どう生きるか。その模索の中から生まれた「歪さ」を投げ出して解決もしないこの映画を今年の第1次エルジービーティー戦争(ちあきホイみさん評)まっただ中で観た、という附合に戦慄した。私も、誰でも境遇によっては、何かに囚われああなってしまうだろう。人一人の意思や人生はちっさくて弱くて、実体があるのかも怪しい。と思って警戒しておいた方がいいみたい。

ちなみに、本作の続編がもう直ぐアメリカで公開よ。震えそう。

でも、ふと考えた。竹美をシャマラン流に考えると…貴様は自分ではワレサ義長気取りだったのだろうが、実際の貴様は酩酊状態のエリツィンだ。

言っててつらい上、エリツィンさんに失礼ね。ごめん。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。