Pocket

パヨクのための映画批評 70

力いっぱい生きなさい~
「ムトゥ 踊るマハラジャ」(”Muthu”、1997年、インド)~

まさか私がこの映画を観るなんて1年前は想像もしていなかったわ。ハッピーマサラムービー、観る極楽浄土、と言われる、タミル語のインド映画で、日本におけるインド映画イメージ=「歌って踊るんでしょう?」を決定づけた作品です。でもね、日本人って結構インド文化は好きなんじゃないかと思うのよね。カレーも大好きだしさ。私も無意識に、本作観る前にカレー屋でカレー食べたわ。2時間半位の長い映画だったけど、期待以上に素晴らしくてDVD数本レンタルして帰ったわ!

大地主のお抱え御者、ムトゥは、お屋敷の使用人。皆に慕われ、大奥様や旦那様(息子)からの信頼も篤い。ある日、旦那様が地方巡業でやってきた劇団一座の看板女優ランガに一目惚れするが、ランガはムトゥに惹かれ、やがてムトゥと相思相愛になる。だがムトゥは旦那様がランガを好きなことに全く気が付いていない。そこへお屋敷の財産を狙う叔父の陰謀が忍び寄る。

コテコテのラブコメディでもあるけれども、歌と踊りのシーンのあり得ない豪華さに圧倒される。特撮はほとんど無く、手作り感はあるとはいえ、あの色使いは脳内の全てを停止させる効果がある。

アクションもある意味すごい。特撮なんか無い時代だから、人間がマジで馬車から転げ落ちて地面にたたきつけられている。人死んでないか心配になる…あの馬車のシーンは延々20分くらい続いていたような。馬も派手に転んでいたので死んでないか心配に…でも生のアクションの凄みがあったわね。もうインドですら作れない凄みでしょう。

パヨクリハビリ的にも悪くないわよ。「人間はどう生きるべきか?」という普遍的且つ答えの無い問いを全力で問いかけてくるので、思想とか…どうでもよくなってくるんだよね。本作は楽しいだけの娯楽映画かと思ったら、思いのほか重たいテーマをあぶりだす社会的な目線もあり、人間の哀しさや薄汚さ、つらい人の世の中だからこそ輝く命の強さをこれでもかとスクリーンに投げかけてくる。誰かが「すごく笑えるのに終わったら涙が出た」と言ってたの、すごく分かった。「尊い」ってそういうことなんだね。

この映画、何が一番好きだなと思ったかというと、勧善懲悪の映画でありながらも、「根っからのワル」はいないと描いていること。今年2月頃に生きてるのがしんどくて、インド思想の本を読んだのね。そしたらインドの人の考え方には「この世にはいい精気や悪い精気があって、それらが人間に入って来て何らかの振る舞いをさせる」という発想があると書いてあったの。「ムトゥ」でも、そういう目で見ると確かにそういう感じがするシーンがいくつもあった。でもね、本でそれ読んだときは、ああそうか、自分が悪い、とか考えなくてもいい社会なのかしら?とちょっと思ったのよ。言い方悪いんだけどさ。日本人が一番嫌いそうな考え方でしょう。それが映画の中でどう描かれるかというと、それがねえ…戒めとして描いているように見えたの。どんな人間にも、罪や悪に溺れる可能性と、それに対する反省と贖罪の可能性が同程度にあるんだと描いているようなのね。あまりに徳の高い人に接すると、自らの罪の重さや卑小さに耐えられなくて心が壊れてしまう人物もいる。最近のインド映画「神さまがくれた娘」(映画終了までは余裕だったのに、終わった瞬間に号泣した尊い映画…)「ピザ!」、「バーフバリ」にすら滲んでいる、このテーマ。そこから流れ出てくる人生への力強い肯定感。人生は簡単でも楽でもないけれど、生きて生きて楽しみましょうよと熱っぽく訴えかけてくる。

また、よいことをできるだけやりなさい、欲望に身を任せて大金を手に入れても、本当の安らぎは来ないよ、としつこく歌われる。インドには、「いいことを少しでも実践すべし」という発想があるんだろう。しかもそれが、必ずしも他人の現状を改善するためだけに実践されるのではなく、自分の運勢のために行うという発想が透けて見えて興味深い。だから施される方も、ありがたがるものの、恐縮したりはしないし、恩を返さないといけないとも思っていないみたい。施しをくれた人に騙されたと思い込んだ庶民が暴動を起こすシーンもある。欲を捨てよ捨てよと言うが、決して人間臭さを否定するでもないのよね。

また、インド映画にお馴染みのキャラ、聖者様ポジションって日本には無いからおもしろいね。聖者様が来るとみんなぞろぞろついて行って、お告げをもらおうとするの。聖者様、含蓄あり過ぎる台詞がありがた過ぎなんだけど、映画の途中でふいに挟まれる、黄昏の川辺で聖者が「人生は大芝居だ!わっはっはっはー」と意地悪く爆笑する逆光シルエットにはぞっとした。あそこだけサイコホラーだったよ。考えたら「マガディーラ」では聖者様は悪役だったし、「pk」では胡散臭い人だったね(その胡散臭い聖者に勝利するのは更に徳の高い宇宙人というのがご愛嬌)。

パヨクな私がこういう映画を観ると、「でもさ、カーストの外にいる人達や、女性や、セクシャルマイノリティは「ムトゥ」の祝福の中に入っていないんじゃないの?」という思念が必ずやってくる。うっとおしいわねえ。でも、その視角のみから映画の持つメッセージや、ひいては当該社会そのものを断罪してしまうと、その社会の仕組みが見えて来ないし、そこに生きる人の喜怒哀楽にも共感できない。リベラル側が、「アラブの春」「私はマララ」みたいな、一見正しいものの、地元のことをあんまり見てない、若干的の外れたプロパガンダを打ってしまうのはよく分かる気がする。

私は、若いときには、思想のために物事のありのままを見つめて自分の心に素直に考えるチャンスを逃してしまったと思う。それは結局自意識の歪みとなって全部返ってきた。ミャンマーより西~ボスポラス海峡付近までの地域に全然興味持てなかったのは、ゲイは存在を許されていないと決めつけちゃって勝手に避けてたのね。

そんな私も、2019年1月、まさかのインドに行くことに。去年の今頃は、欧米的な世界=メキシコに行くと思い込んでいたのに、人生何だか分からないね。

益々先の見えない2019年、40歳=不惑の1年が今は何故かとても楽しみ。

皆さんにも、よいことがたくさん訪れますように。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。