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パヨクのための映画批評 72

「欧米」への回答 「パッドマン 5億人の女性を救った男」
(”Padman”、2018年、インド)

10か月ほど恋い焦がれた憧れの地、インドのハイデラバードに1月に行ってまいりました。向こうでやりたかったことを全部実現できて、1年の幸運を全て1月初旬に使い果たした気がしました。私をそこまで動かした2018年は…まあ色々あってインドしかないと思っちゃったんだけどさ、インド映画大豊作(インド映画に限らず大半の日本公開作が素晴らしかったけれども)と言ってもいい年で、その前の年末から2018年末まで実に1年間に亘り上映された「バーフバリ 王の凱旋」に始まり、「マガディーラ」「ガンジスに還る」「ムトゥ 踊るマハラジャ・リマスター版」を経て最後は「パッドマン」で締めくくられました。隠れインドものとしては「ボヘミアン・ラプソディー」も外せないでしょう。また、1月公開の「バジュランギおじさんと、小さな迷子」も期待作。今回の映画は、格安の生理用ナプキン製造に成功しちゃったインドのおじさんのお話です。

インド北部の田舎に住む男、ラクシュミは、愛する妻ガヤトリが生理の期間、家の外で寝泊まりしなければならないことにふと疑問を抱く。更に、たまたま行った診療所で「生理の期間中、不潔な布を使って病気になる女性がたくさん来る」という医者の話を聞いて青ざめる。妻が死んだらどうしよう!強迫観念に近い思いで、近所の薬局で高価な生理用ナプキンを買ってくるが、伝統や信仰を重んじる妻は、「そんな高いものは使えない、いつものあの布でいいの。そもそもそんな話はしたくないのよ」と嫌がる。「じゃあ、自分で作っちゃえばいいんだ…」と何かひらめいちゃったラクシュミは、生理用ナプキン製作に没頭するのだった。

私はひねくれ者なので、敢えて「声を上げられない女性たちを救った英雄」の物語としてはお話しないことにします。また、パヨク的にも「原題には入っていない副題は果たして適切なのか?」という問いが非常に重要だと思っています。

この映画ね、「伝統VS欧米」の対立として観ちゃうと、妻ガヤトリの反応が忌々しく思えてくるの。何故そこまで夫の気持ちを無視するんだよって。あなたのためなのに。「生理の話なんかしたくない、恥ずかしい」「あなたが変なことするから私は恥ずかしくて死にたい」と言って夫を責めたり泣いたりする。でもね、夫の行動もかなり奇矯で、これが事実だったとしたらすっごい変人だと思うよ(演じるアクシャイ・クマールが上手い)。だから妻の視点にも共感できるようになってる。ひやひやさせられるの。そして遂に、あんまり変なことするから、村の会議が行われて(あの偉いっぽい人達が被る提灯崩したみたいな変なターバン面白いわね)、ラクシュミは村人から責められた上、妻の兄貴(こいつが曲者)からは、妻と離縁させられそうになる。そうなった時、ラクシュミは「じゃあ自分が村を出ていく」ときっぱり言っちゃう。行き先なんか無いんだけどさ。「恥」が機能する上、恐らくそれと連動している男尊女卑的な発想が強固な社会なのがよく分かる。まあ、日本とおんなじね。

ラクシュミは、紆余曲折を経て、ものすごく安い値段で生理用ナプキンを作ることに成功し、インド全国の発明大会で表彰された上、国連にまで呼ばれる。インドの発明大会では、出ました、インドの宝、アミターブ・バッチャンが本人役で出て来て演説をする。そこに、繁栄するインド、変わろうとするインドへの希望が溢れていた。

ラクシュミの国連での演説も面白いの。ブロークンイングリッシュで、欧米人たちの前で滔々と持論を述べる。「お金を沢山持っていても、もっともっと欲しくなるだけ。私はお金はいらない。皆が笑顔になったらいい」となかなかくすぐり上手なところを見せるのだが、このシーンね、インド側から「欧米」を見てるシーンなのだと思うの。こういう映画を欧米で作ると、国連みたいな表舞台で表彰されてよかったね、なんだろうけれど、本作は違う。彼の本当のゴールはそこじゃないんだよっていうのがいい。

他方で、彼を支援する都会の大学教授おじさん(ターバンしてるシーク教徒イケじじぃ。かわいい)の存在も今のインドを象徴している。シングルファーザーで、美しく優秀な娘を育て上げた人。しかも2人とも外国で教育を受けて英語を話すので、インドのエリート層の一類型である「欧米化したインド人」なのね。男だけど料理上手いっていう描写で。おまけにヒンドゥー教徒じゃない、というのも重要なのかもしれない。おじさんも娘も、今風の「起業」支援をしつつ、人道的なことよりも若干お金儲けに興味がある。ラクシュミがパッドマンとなってナプキンを売るに当たり、彼の娘が大活躍し、村の女性たちを販売員にしてビジネスを広げていく。まさにバングラデシュのグラミン銀行で成功したと言われるマイクロクレジットのやり方。だから国連からも興味持たれるわね。でも、その中にあってラクシュミは自分を見失わないと描いている。そこが泣けるとも言えるし、彼の変人ぶりを表現しているとも言える。

でね、本作観た後に「生理用ナプキンは特段インドの女性を救ってはいない」と主張するインド人女性による研究記事を目にしたのよ。果たして彼は、インド社会(あの村だけでも)の人々の価値観を変えたんだろうか?私は「違うと思う」と言っておきましょう。映画もそこははっきり描かなかった気がする。インドは、10億人が、個別ルール縛りで放置プレイしてるような社会よ。ラストのシーンは、「この人すっごいわ」「徳が高いわ」ということに対するインド人の興奮と熱狂が描かれてるんじゃないかなあ…と解釈してみると、ハリウッド映画だったら、こういう話を「途上国の人が先進国(というかアメリカ)の思考に沿って大成功したついでに愛を取り戻した」と描くんだろうという気がしてくる。「LION」なんか、Google様という新しい神に祈れと迫るグローバリズムのプロパガンダ映画だったしね(でも主演男優のデヴ・パテルさんLOVE。ニコキも出るよ)。

本作は、「パッドマン」と呼ばれた人物が辿った不思議な運命の物語、くらいに観ておくのがいいんだろうと思う。そして、インド映画には、そういう風に解釈ができる余地があるんじゃあるまいか。と同時に、大学教授おじさんと娘が象徴する「欧米化してるつもりのインド」という側面も、「恥」に隠れる妻ガヤトリの姿も、ラクシュミを非難するモラハラ男なガヤトリの兄貴も、どれもインドの現実であって、等価なんだと思う。その中で何か新しい扉を開くのは、「変人」なのだ。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。