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伏見憲明の書評

熊谷晋一郎 著『リハビリの夜』(医学書院)

 

少し前、友人が海で遊んでいたときに岩に頭をぶつけ、頸椎を損傷する事故に遭った。海中に投げ出された瞬間、手足を動かそうとしたら反応がなく、パニックになるのを抑え、なんとか腰を回して浮き上がったのだそうだ。その体験を聞いて以来、どうしてからだは動くのだろうかと、ときどき不思議になって手足の動きを確かめることがある。そうすると、いちいち頭のなかに命令の言葉を想起せずにからだが動作していることが、奇跡のようにも感じられる。

 そんな身体の「動き」について、脳性まひという「経験」通じて考察、いや哲学してみたのが本書である。著者は新生児仮死の後遺症から車いす生活となり、思春期までをリハビリに明け暮れた。つねに身体が「他者」として立ち現れてくるような感覚からすると、無自覚に立ち上がり、歩き、走り、手の機能を用い、食べる、排泄する……といった「ふつう」の行為ひとつひとつが、自覚的に体験されるものとなる。「動き」についての再帰的な視点から、人の動作を分析、記述し直すのが、本書のやろうとしていることである。

 著者は前作『発達障害当事者研究』でアスペルガー症候群だとされる綾屋紗月と組んで、人のコミュニケーションという行為そのものをそうした手法で再構成してみせたが、今度はそれを身体をいう「場」を使ってやってみせた。読者は著者の身体感覚を追体験することで、なんとも言えない不可解な、不快な、ぎこちない、収まりの悪いバーチャル体験をすることになる。そしてそれこそが、身体に障害を持つ人たちの日常なのだろうと気づかされる。著者は、「広く社会全体において暗黙のうちに前提とされている規範的な体の動かし方」というものを、問いなおしていきたいと思っている」

 また本書の非常に独特なところは、そうした身体考察のなかで、「官能」という問題を扱っている点にある。「規範と身体とのあいだに生じる乖離のなかで、私の体は緊張と弛緩を繰り返す。そしてその反復は、強い官能を伴うものであると同時に、既存の運動イメージをほぐし、組み立てなおして、私にあった運動を新たに立ち上げる源であることを示していきたいと思う」。こうした視点は、たぶん、これまで障害者について言及した言説のなかにはありえず、著者の実存のなかから取り出されたオリジナルな観点である。

 著者は幼少のころからままならない身体と、それを通じて他者と関わる上で、「敗北の官能」というのを味わってきたという。それは「健常な動きといった規範をわが身に刷り込むことに失敗した恥辱感と、こわばった身体内協応構造が自壊するようにほどかれてぐにゃぐにゃになった身体を他者に拾われる開放感・つながり感が重なっていくときに感じられるもの」。これだけだと、なんのことだかわかりにくいが、自らに胚胎したマゾヒズムとも言いえる官能を、私的な体験を題材に深く分析し、それをエロティシズム論につなげることを試みている。

 そう、この本は、障害者論であり、身体論であり、セクシュアリティ論であり、反差別論であり、コミュニケーション論であり、近代文明論でもあり……といったぐあいに広いパースペクティブを持った希有な哲学書である。そして、それを「私」の経験を掘り下げることで可能にしていることからすると、極めて質の高い私小説とも言えるだろう。めったなことでは生まれない、恐るべし一冊であることは間違いない。

伏見憲明