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パヨクのための映画批評 75

愛されて捨てられて忘れられた80年代の人形 「アイ、トーニャ」
(”I, TONYA”、2017年、アメリカ)

 

もう直ぐアカデミー賞授賞式ね。すっかりインド映画信者と化した私とは言え、オネエ的には、誰がどんなドレス着て来るかとか、授賞式で誰がしくじるかとか色々気になるし、アメリカという社会を知るための指標としてはやはり見逃せない。もう1年前…2018年の主演・助演女優賞は、「スリービルボード」のフランシス・マクドーマンドと「アイ、トーニャ」のアリソン・ジャネイが受賞しました。どちらも貧しい白人の痩せたおばさんが田舎で暴走しているよっていうお話です。この映画の後に観た「フロリダ・プロジェクト」もそうなんだけど、「田舎の貧しい白人層の女性」にフォーカスした映画が昨年の流行だったと言えるかもね。他方でちょっと最近気になるのは「メキシコへの二重的な目線」。ハリウッド映画は、10年位、アメリカで活躍するメキシコ人をいやに称える一方で、「メキシコは危ない、悪い場所」と描いています。ハリウッドの二重的な視点と、トランプ政権への態度を見るにつけ、米国・メキシコの間の「壁」は本当は誰にとって一番利益になるのかと考えるとちょっとぞっとします。

さて今回の映画、「アイ、トーニャ」は、舞台は80年代、実在の元フィギュアスケーター、トーニャ・ハーディングの半生が描かれた伝記映画です。「ナンシー・ケリガン襲撃事件」(ライバルと目されていたスケーター、ナンシー・ケリガンが脚を殴打されるという事件で、トーニャ自身も事件への関与を疑われた)というスキャンダルをクライマックスに持ってきて描いており、クズ男とのダメ恋愛、クズ男の友達はもっとクズ(ってか社会生活やばいレベル…)、毒母と娘の葛藤等、ネタは盛りだくさんだから、昼ドラ好きのオネエは観ておいて損は無いわね!!というか、そういう「下世話な観客である我々の覗き見欲」をあぶりだす映画なのね。

本作の一番いいシーンは、主演女優のマーゴット・ロビーが活き活きと氷上を滑る姿よ。あれはこの地獄のような映画にあって唯一の救い。だから悲痛。その持っていき方が上手いんだと思う。普通のテレビ中継ではありえないアングルの画面で、トーニャの情熱と喜びが伝わってきた。対する毒ママ役のアリソン・ジャネイ、すごかったー。水分全部飛ばした鳥ガラ。そして水分無くなって濃度の上がった毒で怪気炎をあげます。「あの子は怒らせたら本気になるんだ」という方針で、娘を虐めぬくのね。喧嘩の途中でナイフ投げてトーニャの腕にぶっささるシーンは強烈。あ、しまったやり過ぎた。という顔をしていたが、特に反省の色は無く。娘の「私のこと愛してくれてたの?」という問いに対し「あんたは甘いんだよっ!」「あたしが稼いだ金は全部あんたのスケートに消えたんだよ!」とたばこの煙と毒を吐く鬼ママ…鬼になることで娘を強く育てたい、自分を超えて欲しい、って思って嫌われ者になる自覚はあったと思う。でも気が付いたら本当に心まで鬼になってしまった。理想が高すぎるんだね。期待してる相手には過剰に厳しく当たる人って、敢えて相手の弱ってる様子を無視したりする。世界対あたし大戦の権化だが、大概その手の人は、相手のことが全く見えておらず、自分の理想だけを見つめている。トーニャママは「あたしの母親にはこうなって欲しかった」というようなことも口走っていたので、本望なのだろう…というように描いている。ナンシーケリガン襲撃事件発覚直後のママの言動とか、本当に酷いんだけど、観客の「まさか…そこまではしないだろう」という期待を裏切ることで、ママはモンスターとして完成した。

また、トーニャを取り巻く男達が全員クズ。夫は典型的なDV男だし、そのお友達がまたひどい誇大妄想でろくでもないことを思いつく…という感じで、「教養の低い白人層」のイメージを上塗り。ケリガン襲撃事件の顛末もあまりにもお粗末でショッキングよ。裁判のシーンが哀しい。世間は、トーニャからスケートを取り上げてしまうんですね。「私は教育も受けていません。私からスケートを奪わないで」とすがるトーニャに、観客は身勝手にも同情するわけよ。

ところで、トーニャは、「Red neck」、「White trash」等という言葉で自分を言い表したりする。氷上で、クラシックではなくロックの曲で力強く自分を表現したトーニャは、その「お行儀のよくない」個性がスケート協会にちっとも受けなかったと描かれる。でもねえ、彼女がお行儀よくて権威にウケてたら、今彼女のことを誰も思い出さなかったとも思うのよね。

トーニャにとっての人生最高の瞬間はトリプルアクセル飛んだあの日であり、それが最初で最後の栄光だった…そのシーンに続いて「私はビル・クリントンの次に有名なアメリカ人。皆が私を嫌う」というセリフに重なって、ボクサーとなってぶん殴られるトーニャ。リングに倒れたトーニャは血反吐吐きながらカメラ目線で「これが真実よ」という不敵なセリフを吐く。そんな台詞を耳にしても、2018年の我々は、全てを本当だと信じる程ナイーブでもなく、かと言って「信じたい」=「いい人でいたい」という心理作用もある。でも未だにどれが「真実」なのか判断ができはしない。彼女は本当に襲撃事件のことを事前に知らなかったのだろうか。でも、電気の消えた部屋で、一人で泣きながら電子レンジで温めた食べ物を食うわびしい姿…23歳の女の子がたった一人で世界と対峙しなきゃいけなかった状況を作り出したのは、彼女の家族であり、スケート協会であり、当時のマスメディアであり、それを喜んだ下世話な我々なのだ。悪いなぁ…でも結局、薄汚い覗き見趣味を抑えられない私は、布団に転がって、股間をぼりぼり掻きながら、ネットで他人のゴシップや恨み言を読み漁り、超適当なことをネット上に垂れ流すわけ。日本でもここ数年、私達は何人の犠牲者を作ってしまったかしら。

スマフォもSNSもインターネットも無く、人々がテレビやマスコミの情報に対してほぼ受け身だった(と私達が思っている)最後の時代である80年代。80年代回帰ブームは、ホラー映画界のみならず、ドラマ映画や伝記映画(ホイットニー・ヒューストンの実録映画など)にまで広がっている。どうして我々はあの時代を観たいんだろう。グローバル化時代を迎えた我々は「あの頃のものでも意外といいものはあった!だが、今の方が情報は溢れているし、世界はよりよくなっている」と思いたい。だが、同時に、目にする情報に占める嘘の比率は上がっているのでは…という曖昧な不安を抱いてもいる。結局「安心して見られるミニチュア80年代」を覗きこんでいるに過ぎない。本作は、そこのところを意地悪くつついてくれたのかもね。いひひひ。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。