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パヨクのための映画批評 76

人食いゾンビは世界の言葉 「カメラを止めるな!」
(2018年、日本)

 

2018年後半、最も話題になった映画であり、最も内容を語ってはいけなかった映画、「カメラを止めるな!」。私も大ヒットになる直前位に友達に誘われて観て、とても笑えるのみならず、ラストに少しほろりとさせられる、よくできた映画だと思いました。上映後に自然と会場から拍手が沸いたしね。でも、映画のジャンルについて語るだけでもうネタバレになっちゃうから、努めて語らないようにしてたの。そしたら感動したことまでほとんど忘れちゃった…。

海外でも公開され、そろそろゾンビ映画に一定の興味を持ってる地球のお友達は全員観たと思うが、やっぱりネタバレはダメよね…本作の内容は未見のお友達のためにとっておいて、今回はゾンビ映画とは何かと考えてみようと思います。

お話は、ちょっとイカれた映画監督が、少数のスタッフとキャストで低予算ゾンビ映画を撮ろうとするんだけど、そしたら本当にゾンビが出て来た、というもの。実はそのパートは死ぬほど退屈で、観ながら「は?」と思った。もうちょっと何か作り方あるでしょうよと思わせる。が、後半のパートでは、退屈なゾンビ映画の「裏側」が描かれ、あっと驚く映画的な仕掛けを見せてくれます。

ゾンビって、何の役に立たないのに地球上に一定の場所を占拠して資源を無駄遣いする人類(私とかね…ゴゴゴゴゴ)と会社のことを指す言葉でもある。日本でこんなゾンビ映画なんか今時売れるのかよっていう自分ツッコミ映画でもあるし、そのゾンビ映画作ってる人間たちだって、色々うまく行かなくて、ゾンビになっちゃった方がましだろうと思いながら生きてるのかもしれない。あーあ、底辺人生か、というため息と一緒に毎日を過ごしてさ。でも、どんな人だって、もうちょっとだけ、カメラを止めずに先に進んでみたら、思いもよらないことに出会えるかもよ、という前向きな内容に感動したわ。「万引き家族」も本作も、「虚構」の中で必死に「本当」を探し求める今の日本人の姿を描いている。「万引き家族」は「本当」に直面した途端崩壊してしまい、本作の人々は、今日と明日を生きるのには十分なほどの「本当」を手に入れる。

と、このくらいしか書けないわッ。なので作品と全然関係ない話するわよ今回は。

インド初のゾンビ映画「インド・オブ・ザ・デッド」の予告編の「ゾンビだって?ここはインドだぞ」「グローバル化だよ!」というセリフに出ているように、グローバリズムの神殿には、スマフォ、コカイン、そして、人食いゾンビ映画の三つが祭られているようね。ちなみに第4のアイテムとして、ヒーロー映画を入れてもいいのだが、神話とヒーローものの区別、オタク的な感覚との分離が私には難しいので入れていいのか迷っている。

スマフォのながら歩きの光景は、インドのハイデラバードでも日常になっていたし、各国映画のコカイン描写に注目することで、その国がどの程度「世界」と繋がっているかが分かる。例えばインドでは、コカインはパーティ好きな外国人のもたらした風紀の乱れの象徴と見なしつつも、ドラッグの浸透自体は認識している段階と見られる(「インド・オブ・ザ・デッド」「Simmba」「リクシャー」等)。

…コカイン所持で逮捕されちゃった元彼もこうやって文章の肥やしになるんだなあ…ちょうど1年前…

そして、人食いゾンビ映画。20世紀中盤のアメリカで、ロメロ監督によってゾンビ=「人を食う魔物」としての印象を決定づける映画が作られて以来、世界中で人食いゾンビが製作されてきたわ。ゾンビ映画の何がいいって、台詞分からなくても話が分かることよ。ローカルな文化的想像力をものの見事に無視させた上でお話を理解させるなんて、こんな様式の映画が他にあるかしら。

ゾンビ映画界の最新モードは、大概社会風刺好きのイギリスやカナダ辺りから来るみたいよ。

 

イギリス人の発明:

・理性を失って人を襲うのもゾンビの一種

・故にゾンビは走る

・ゾンビは労働力や愛玩動物として社会に吸収可能

・ゾンビこそが新人類だ(実はロメロも同じようなこと描いてるんだけどね…)

 

カナダ人の発明:

・ゾンビは薬で治る(故に薬の争奪戦になる)

・人間の男があまりにヒドいのでゾンビと恋に落ちる主婦

・英語話すとゾンビ状態になるから下手なフランス語を話す英語圏カナダ人のドタバタ劇

 

その他最近の注目すべきトピック:

・暴力や無理解にさらされていた少女がゾンビ化することで初めて世間に立ち向かう

・自分が/恋人がゾンビになっちゃう青春ラブコメ

・ジェーン・オースティン小説のゾンビパロディ

うるせえ子供を抹殺したい大人のゲスな欲求

・ゾンビを狩るテーマパークを経営したら儲かった

・フィンランド人は夏至の日に外国人を喰う(ちなみにロシア人観光客が喰われます)

・女子高生がゾンビになる(JK好きの日本らしいわ…)

・ゾンビ化した家族の世話をするマザコン男

・ゾンビは病人は喰わない

・合成ドラッグのせいでゾンビになる若者(これ映画の方が先だけど、実際にアメリカで似た事件が起きました)

 

ゾンビで物語を語ることは、世界の共通言語で自分を語ろうとする取り組みなのだと思う。文化のグローバル化とは無目的な画一化である、という予言を昔本で読んだ。ゾンビ映画の生産と消費を観る限り、私も同じものを使って表現したい、人に何かを伝えたい、誰かと繋がりたいという欲求こそが文化のグローバル化を支えているような気がする。それって欺瞞なんだろうか。これは『ドナルドダックを読む』が警告するような意味での文化侵略と考えるべきなんだろうか。和製ゾンビ映画「アイアムアヒーロー」や「カメラを止めるな!」の成功は、地球文化の画一化を象徴するんだろうか。少なくとも、大衆文化のガラパゴス、日本ですらグローバル化を免れていないという証拠ではある。そして、ゾンビ映画を観ることで、他国の文化や習慣を少しだけ覗きこめるのもまた事実なのだ。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。