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パヨクのための映画批評 79

お父さんが怖いッ! 「破れ太鼓」(1949年、日本)

今回の映画は、日本の昔の映画を振りかえるシリーズ第2弾、木下恵介監督作品の「破れ太鼓」です。戦後直ぐ、東京の裕福なお宅に住む暴君お父さんと、その家族のお話です。今聞いても尚、心を打つ台詞もあり、にもかかわらず今では全く見られないようなお話の流れ方が面白いと思いました。

叩き上げで裸一貫から土建屋を立ち上げた男、津田軍平は、6人の子供達と、妻と女中と一緒に、大きなお屋敷で楽しく暮らしている。ところが、家族7人や女中から見れば、父は、気に入らないことがあると怒鳴ったり殴ったりする恐ろしい暴君。父の会社で働く長男太郎は、本当は叔母の経営するおもちゃ会社で働きたい。長女秋子は婚約相手がいるものの、父の会社の経営再建のためである政略結婚に全く気が乗らない。その上、秋子は、満員電車で父が起こした些細なトラブルから知り合った画家の男性に惹かれてしまう。

お父さんがいないと、6人のいい年こいた子供たち(成人している者もいる)がお母さんに「お父さんに言ってよー」とお願いするが、お母さんもお父さんを恐れているのでなかなか切り出せない。お父さん帰宅時の出迎え方や、お父さんの誕生日の食卓の息苦しさ…これ、21世紀の日本映画で描いたら、「来る。」みたいな毒家族物語のホラーになると思うんだけど、昭和20年代の日本ではコミカルに描けるんだね。

お父さんがいないと皆自由で楽しげ。「破れ太鼓」というお父さんを風刺した歌を歌って大盛り上がり(医大生の息子がお母さんに「元気になるから」と明らかにヒロポンを注射している場面に戦慄。長谷川町子の漫画『似たもの一家』でも、ワカメちゃんとタラちゃんと見られる子供達がヒロポンを誤飲して騒ぐという衝撃の場面がある。『はだしのゲン』でムスビがヒロポン中毒になった挙句ギャングの抗争で命を落とす時期は少し先のことなのだろう。日本はコカインは少ないけど覚せい剤の国よね!)。でも、お父さんは家族から距離を取られていることに不満を抱いてはいない。それが君臨する父親としてのステータスなのであり、快感ですらあったかもしれない。

でもね、この家の子供達は好きなことをたくさんさせてもらっているの。父親にだけ自分の部屋があって、父親が一人でふらっと旅行に行ってしまう時代(私の父方の実家での実話)において、彼らの家は裕福なので子供全員に部屋があり(母親については不明)、20代なのに全く働いている様子の無い男子が2人もいる。お父さんの便を顕微鏡で観ちゃうという変態じみた医大生息子が…妙に目がきらきらしてて…ちょっとゲイのテイストを感じた(同じ木下監督の「カルメン故郷に帰る」では、田舎の小学校の校庭で、子供たちに混ざり、男の先生二人が男女二人組のはずのフォークダンスを踊るシーンが2回もある)。

長男は仕事のことで、お母さんと長女は、長女が自分の縁談を破棄したことを契機に、お父さんに反旗を翻す。でも、「完全に捨てる」という選択肢ではなく、「お暇をいただきます」っていう描き方。今だったらそんな描き方は「甘い」と言われるだろう。皆お母さんについて家を出て行った後、ニート息子だけがお父さんと一緒に残る。一人で何しても楽しくないお父さんは、息子の歌う「破れ太鼓」の歌を聞き、好物のカレーライスを食べながら、貧しかった昔を回想してたらね、どうして皆が自分を嫌うのか分からなくなってしまって涙する。それに対して息子は冷静に「自分は生活能力が無くて好きなことさせてもらってる身だけれど、人はみんなひとりひとり違うんです。思い通りにはならないのです(ニートよく言った!)」「それでも僕はちょっとお父さんが好きなんです。お父さんもそうでしょう?」と言って、お父さんを圧倒してしまう。この距離の取り方、そして父親の乗り越え方、泣いた。最近は、「ちょっと好きでしょう?」の部分は掻き消えて、家族制度への憎しみと恨み、うまく行ってるように見える者達への嫉妬がネット上に渦巻いているもんね。

秋子が恋する画家の青年は、おフランス帰りの芸術家夫婦の息子よ。いつも夫婦でいちゃついており、フランスの歌「Parlez-moi d’amour」をフランス語で口ずさむわよ。おフランスって一体。でも、妻を演じてる女優さんが「カルメン純情す」の「原爆おばさん」なので油断ならない…夫は、過去に妻の逆鱗に触れて去勢か洗脳された男性に見える(私の心が汚れている)。この時代は、愛に溢れた二人の間で育った優しく繊細な男が、保守的な家から脱走した秋子の未来を拓くと想像できたんだろうね。

ところで、お父さん役の阪東妻三郎がいい男なの。眉根を寄せながら一人で泣く顔がエロティックだったよ…大学の頃、熱い物を一生懸命食べる同級生の眉根寄せ顔に欲情しそうになった薄汚い過去まで思い出したわ。

軍平の家って例外的な家なんだとは思うのね。子供は基本的に自分の好きなことをさせてもらっている上、働かない成人の子供が家に滞留してる状況は増えてるって言うよね。(親戚の家にそういう従兄弟がいた…時代考えると最先端…もっと言えば、27歳まで親のすねかじりした癖に進学諦めた苦労知らずのゴクツブシで、親が子供名義で残したお金が唯一の財産のワーキングプアの40歳が私です!!)一番下の妹は演劇にハマっており、ラスト近くでは、男装した王子の役をやるのだが、こういう子達の系譜が少女小説や少女漫画を経て夢女子や腐女子に繋がって行くのではあるまいか。つまりさ、民主的で豊かになると日本の子供がどういう行動を取るようになるのか、という示唆だったのかもしれないね。親がどう反応するかとはまた別のことなんだけど。

前の映画を後から観て、意外にも全然変わっていない部分と、変わってしまった部分を確認していると、社会の変化には「いいとこどり」は無いというのが分かる。軍平の家族のように、一度は習慣や、年長者や世間の善意に抗って場を乱すことで得られるものがあるし、今の私達の生活もその積み重ねの上にある。でも一度壊してしまったものは元に戻らず、その代償はいつか誰かが背負うことになる。ラストの軍平は家族に少し優しくなったが、深層では何も変わってないのかもしれない。でもその方が健全なのかもしれない。家父長制否定の立場から見れば物足りないラストだろう。でも、「全能なる誰か」が解散すべき家族を決めてくれると期待するのは、ウルトラ管理のアニメ「PSYCHO-PASS」の世界か、皮肉にも社会主義っぽい体制なのよね…。サイズの合わない服=社会は、お直ししながら着続ける他無いのね。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。