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パヨクのための映画批評 80

欧米か!その② 「Gully Boy」(2019年、インド)

インドに触れたおかげで心が浄化された気になっていた私ですが、浄化された心で仕事や人生にそれなりに真っ当に取り組むと、鬱っぽくなるみたい。どこまで社会のお荷物なんだよ…「真人間の真似をしたところで貴様の性根は治らん」と、脳下垂体辺りの物質を使って歪んだ認知が私に語りかけて来るのね。ありがとう。分かったら治っちゃったw。なので安心して、最新のインド映画「Gully Boy」を紹介します。日本では3回の限定上映しか行われていませんが、ボリウッド映画であることを感じさせない作りと内容が日本の一般人(その言い方)にもウケそうな映画です。インド版「8マイル」、ヒップホップ音楽に人生を賭ける青年のお話です。

ムンバイのスラム地区に住む内気な大学生、ムラッドは、貧しい人生に諦めを感じ、無気力に暮らしている。親たちに隠れて付き合っている恋人サフィーナと結ばれる希望も無い。ある日ムラッドは大学の広場でMCシェール(名前アレですけどヒゲ男ですw)のヒンディー語のラップパフォーマンスに衝撃を受ける。

ゲイ目線の偏見丸出しで言うと、ヒップホップの世界はオラついた男共が薄汚い倉庫とかで差別用語と母さん父さんありがとうを連呼してるから家父長制的で好きになれないが、ヒップホップやってる髭面やんちゃ男達が喧嘩したり仲直りしたりしてイチャつく様子は好き…ホモはイキった男を慰み者としてのみ愛する歪んだ命…まあでも、その意味では大豊作の作品だよ。主役ムラッドを演じるランヴィール・シンは、ボリウッドの人気俳優。軽薄さが持ち味の彼は、ちょっとバカっぽいヒーロー役とか漫画の悪将軍みたいな役が多かったが、今回は地味さと繊細な眼差しで、夢を追う内気な青年になりきっている。その予告編を観て、本作の鑑賞を決めました(結局、男で映画選んでる)。

長年こっぱずかしいと思ってたラップバトルのシーンが、意外なほど面白い。厨二的に言えば、アストラル界で互いを攻撃し合う精神力の戦闘と言ったらいいのかしら。最初は相手に一方的に罵られることに耐え、自分の番になったら相手を言葉で圧倒し、周囲の観客を引き付ける言葉を一瞬で見つけるなんて相当知的よ~。罵詈雑言で相手を怒らせるだけだったらあたしだってできると思う。でもそこに知性が必要。エミネムも知的で繊細だもんね。本来、ラップは喧嘩が弱い男がイキってやる活動なのだと思う。見た目が強そうであるかどうか以前に詩人でなければならない。ムラッドは最初の方で「自分は詩を書くだけ。代わりに歌って欲しい」とシェールに気弱に申し出るが「お前の言葉は、お前が言わなければ意味が無い」と一蹴される。最初は、ラップバトルでももじもじして、一言も言えずに引き下がってしまうの。あああん。リュックサックしょったダサかわいい上に気弱なランヴィール・シン様なんて初めて…

本作はイスラム教徒の主人公を描いているので、私としては驚くシーンがいくつかあった。割と最初の方で、お父さんが若い第2奥さんを娶る。第1奥さん、つまりムラッドの母親はよく思わない。その間でおろおろする祖母。また、恋人サフィーナの状況はあまり笑えない。豊かなムスリムの家庭に生まれ、品行方正な娘でなければいけないのに本人は別の夢を持っているのだ。

マリファナがインドの若者に気晴らしとして広がっている様子も分かる。ムラッドは、友人が子供を使ってマリファナの商売をさせているのを見て食ってかかる。でも、その友人に「これでも親に捨てられたこの子達の面倒をみてやってるんだよ!」と逆ギレされ、何も言えず座って泣きだしてしまう。自分の人生に先が見えず、不安を友人の「悪」にぶつけてるだけなんだって分かってるんだね。その友人がラスト近くで見せる志、私は好きだった。私が地味ヒーロー映画が好きな理由かもしれない。

違う見方をすると、インドにおけるヒップホップの消費は、若者の「欧米かぶれ」現象と、経済繁栄の象徴のようにも見える。第2奥さんが家にやって来た日、面白くない気分のムラッドはイヤフォンでヒップホップ音楽を聴き、周囲に流れている伝統音楽をシャットアウトしようとする。自分は貧民街でこんな風に生きるつもりはないという意思表示なのね。

欧米人の観光客がスラム見学にやって来たとき、ムラッドが完璧な英語でアメリカ(?)のラップをやって見せるのも、かっこいいけどちょっと滑稽。ムラッドもシェールも、台詞のはしばしで「よく分かんないけどかっこいいからやってる」というのがうっすら感じられる。着慣れない服装と髪型で頑張るムラッドは、ミュージックビデオの撮影が終わったら「言われた通りにやっただけ」と答える(純朴萌え…)。周囲の人達も「歌をやりたいなら、歌謡曲にしたら?」と言ったりする辺り、やっぱり「分かってない」。

他方で、女性ミュージシャン、スカイが、明らかに富裕層の出身で英語も価値観も完全にアメリカ仕込みで、インドらしい様子が一切無い。シェールの彼女は白人女性(アメリカ人?)だった。パヨクの聖典『ドナルドダックを読む』的に言えば、そういう「欧米化した人」達が、ムラッドやシェールに欧米の文化を「教える」形になっていると言えるのかもしれない。

また、ラップバトルに流行のヒップホップのファッションで出てくる男子は「それなりに豊かな家の子」なのだと分かる。ムラッドは貧しいためにいつも地味な普段着で、髪型も冴えない。でも、むしろそこに強みがあるのだと本人が自覚し、ラップバトルに臨むところがいい。

映画は出身地の貧民街の皆にムラッドが歓迎される栄光シーンで終る。これ、「パッドマン」と同じ構図で、「何がすごいのか」を皆、あまり理解していないように見える。それに、ムラッドが「施される側」から「施す側」になった様子もしっかり出てくる。

社会の不平等を告発するラップをやりながら「施す側」になるムラッドは、これからどこを向いて生きていくのかしら。貧民街に凱旋したムラッドの表情があくまで謙虚で控えめだったところに、映画としての品の良さを感じたわ。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。