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大塚ひかりの変態の日本史 その17

変態界のエリート 『今昔物語集』のSM

 

 ドSだのドMだのと、若い人が言うのを見ると、変態の芽は誰の中にも宿っているのだ、と思うと同時に、サド・マゾというのはどこかカッコイイ、惹きつけられる響きを持って受け止められている……と感じます。それはことばの響きだけでなく、その中身からして、人が苦痛にゆがむ顔に快楽を覚えるサディズムと、虐げられて性的興奮に至るマゾヒズムとは、甲と乙、凸と凹にもたとえたくなる好対照のコンビで、表裏一体ならではの強い絆で結ばれているロマンが漂うから。

 と、そんなふうに私が思うのは、物心ついたころに、こんな『今昔物語集』(一一三〇ころ)の話を知ったからかもしれません。

 今は昔”……今現在から見れば、すべての話が昔話になるわけですが……と、物語は始まります。

 貴人に付き従う侍レベルの人で、三十歳ほどの背のすらりとした、少し赤ひげの男がいた。その男が夕暮れ時に、とあるあたりを通り過ぎると、「ちっちっちっ」とネズミの鳴くような合図で手招きをする者がいる。「何かご用ですか」と近寄ると、女の声で「申しあげたいことがありまして。その戸は閉じているように見えるけれど、押せば開きます。それを押し開けてこちらへ」と言う。もうここからして妖しい雰囲気が漂います。男は怪訝に思いながらも女の言う通り入って行く。

 ……大丈夫なの!? とはじめて読んだ時、思いました。見ず知らずの人に呼ばれ、ふつう行きますかね? 扉の向こうに何があるか分かんないんですよ? いくら腕に自信があっても、そこに巨漢の暴漢でもいたら……と思うんですが、男は自信があるのか警戒心がないのか、言われたことには逆らえない性格なのか……女のことばに操られるように、扉の向こうの世界に入っていく。

 すると、女は「その戸に鍵をかけておいでください」と、ことばは丁寧だけれど命令口調。

 男が言うとおりにすると、

「お上がりなさい」と、またも命令口調。

 男が部屋に上がれば、綺麗ないでたちのふるいつきたくなるような二十歳余りの美女がたった一人で微笑んでいる。男は考えました。

此許かばかり女の睦びむには、男となりなむ者の過ぐすべき様なけれ

 これほどまでに女が好意を見せていては、男たるもの、引き下がるわけにはいかぬ。

 最近ではあまり耳にしませんが、「据え膳食わぬは男の恥」というのは、『今昔物語集』のできた平安末期からあったのですね。

 で、二人ふしにけりとなる。

 その家にはほかに人もいないので、「一体ここはどういう所なんだ」と怪しく思いながらも、セックス後は女への思いが深まった男、日が暮れるのも知らずに寝ていると、入り口を叩く者がいる。召使もいないので、男が行って門を開けると、男と同じく侍ふうの男二人、女房ふうの女一人が、下女一人を伴い入って来た。そしてブラインド的なものを閉め、明かりをともし、うまそうな食べ物を銀食器に盛って、女にも男にも食べさせた。ここで男は不思議に思ったのです。

「俺がいることを女が知らせた様子もないのに、なんで二人分の食事が用意されたんだ。ほかに男がいるのか」と疑いながらもぱくつくと、女も遠慮なく食べており、すっかり打ち解けている。終わると女房ふうの女が後片付けをして出て行ったので、女は再び男に鍵をかけさせて、二人はまたセックス。

 朝になるとまた入り口を叩く音がするので、男が行って開けると、昨夜とは別の者たちが来て、ブラインド的なものを開けたり、あちこち掃除するなどしたあと、朝食と、続いて昼食が出て、二人が食べると、皆いなくなった。

 こんなふうにセックスしては食って二、三日過ごすうち、女は男に「どこかに行く用事などはある?」と聞く。「ちょっと知人の家に行って話したいことが」と男。「ではすぐお行きなさい」と女が言うと、しばらくして立派な馬と鞍、水干装束の下男三人が、馬の口取り男を連れてやって来た。そして、後ろの納戸から男が着たいと思っていたような良い服を出し、男に着せてくれたので、男は用意された馬に乗り、下人たちを従えて出かけたところ、この下人どもが実によく仕込まれていて使いやすい。しかも女のもとに戻ってくると、馬も従者も、女が何も言わないのにどこかに行ってしまった。食事なども、どこからともなく以前と同様に運んでくる。

 と、ここまでほぼ原文の逐語訳なんですが、この男、流されやすいというか、実に受け身です。それだけ女が魅力的だったんでしょうが……

 こんなふうに何不自由なく二十日ばかり過ごしていると、女が男に言うには、

「思いがけずこんな関係になったのも、かりそめとはいえ、前世からのご縁があればこそでしょう」と前置きすると、

ればいくともしぬとも我が言はむ事はよもいなびじな

 ならば、生きるも死ぬも、私の言うことは、よもや嫌とはおっしゃいませんよね、と言いだす。

 私たちは前世からの縁で結ばれているのだから、私の言うことは何でも聞くよね? って、ちょっと飛躍があるのではないか。その逆……女が男の言うことを何でも聞いたっていいってことでもあるよね? とも私などは思うんですが、この男にはそんな発想はみじんもない。

まことに今はいけむともころさむとも只御心也

 まことに私を生かすも殺すもあなたのお心次第、と、答えるんですよ。

 これをマゾ体質と言わずして何と言おう。

 ここから、物語は次の段階に進みます。

 女は「本当に嬉しいお気持ちです」と食事を済ませ、男を奥の別棟に連れて行き、男の髪に縄をつけ、拷問や刑罰に使われる板に縛り付け、背中を出させて、足を曲げて結わえ付けた。そして自分は烏帽子と水干袴、つまりは男装すると、片肌脱いで(っても肌を出すわけではなく、ひらひらした水干部分だけ脱いで、下の衣が見えてる状態かと)、ムチを持ち、男の背中をしたたかに八十回も打つのです。

「どんな気持ち?

 女が聞くと、

「大したことはない」と、男。

「やっぱりね」

 女は言って、かまどの土(止血効果があったそうです)を湯に溶いてのませ、良い酢をのませて、土を綺麗に払い落として二時間ほど寝かせると、ふだんよりごちそうを用意した。

 きましたね~~。美女が男装して、縛り付けた男をムチで打つんですよ。九百年も前にこんなSMシーンが描かれていたんです。

 で、三日くらいしてムチの傷も治ったころ、今度はわざわざ傷跡を狙ってムチで打ったもんだから、ムチの跡に沿って血がほとばしり肉が裂ける。

「我慢できそう?

 女が聞くと、男は少しも顔色を変えず、

「我慢できる」

と答えたので、女は前の時よりも、よくいたわって、四、五日ほどするとまたもムチ打ったあと、今度は男の体をひっくり返して腹も打つ。それにも男が、

「大したことはない」

と言ったので、女は物凄く讃めて、よくいたわり……って、この男、まるで犬じゃないですか? いや、犬だってこんなに我慢はしませんが、「よしよし!」と褒められ、言うことを聞いている関係性が、飼い主と犬さながら。強い信頼関係が築かれた上でのプレイであることを物語ります。

 こうして女に飼い慣らされた男は、女にこんなことを命じられます……これからどこそこに行って、そっと弓の弦を鳴らせ、すると誰かがまた弦を打ち返す。口笛を吹けばまた誰かが口笛を吹く。彼のもとに行き、「お前は誰だ」と問われたら「来ております」とだけ答えよ。そして連れて行かれた所に行き、言われる通りにし、どこそこで獲物を分けるが、決して受け取るな……と。

 教えられた場所に行くと、そこには自分と同じような男が二十人。ひとり色白で小柄な男がいて、皆、それに服従している。

 ここまではほぼ逐語訳でしたが、以下ざらっと流すと(原文を楽しみたい人は『今昔物語集』巻第二十九第三を参照のこと)、要は強盗団の手伝いをさせられたんです。

 こんなふうにして一、二年が過ぎたころ、女はそれとなく別れを告げ、ある日、男が二、三日外出した隙に、家もろとも跡形もなくなっていた。

 進退窮まった男は盗みを働き、そのうち今でいう警察に捕まって、これまでのことを白状したのでした。

 男が言うには「盗みをしに集まっていた奴らはどこのどういう者かまったく分からずじまい」……今もネットの掲示板などで知らぬ者どうしが集まって犯罪をおかすというようなことがあって「ネット社会ならでは」なんて言われがちですが、昔から似たようなことが行われていたんです。知らぬ者どうしのほうが足が付きにくいですからね。

 また、皆が恐れ敬うようにしていた小柄な男の顔を、いちど松明の火影で見たことがあったが、

「男の顔色とも思えぬくらい白く美しかったのが数年過ごした自分の妻に似ているなぁと思われて、あるいはそうだったのかとも思うけれど、それも確かなことではないので、不審に思いながらもそれっきりになった」と。

 「世にも不思議なことなので語り伝えられた」で物語は閉じられます。

 人に知られぬ女盗人のことというタイトルですから、女は強盗団の首領で間違いないでしょう。

 けれど……なぜこの男が選ばれたのか? 前々から目をつけられていたのか? 女は男に特訓を施す際、なぜセックスとセットにしていたのか? 集められていたほかの男たちも同じように鍛えられていたのか? それともこの男は例外だったのか? 何一つとして物語は答えてはくれません。

 確実に言えることは、盗人の訓練の形は取ってはいても、この話はS女とM男を描いている、ということ。しかも、なにげにカッコイイ話というか、甘いロマンティシズムの漂う作りになっている。その手の人たちは九百年も前からいて、こんなふうなミステリーロマンふうに描かれる対象だったというのは、大衆にとってSMは今も昔も変態界のエリートでアル事を物語ります。それはSMプレイが強い信頼関係の上に成り立つからで、そこまで強固な関係を築けることへの憧れの気持ちも混じっているのかもしれません。

 

大塚ひかり(おおつか ひかり)
古典エッセイスト。1961年横浜市生まれ 早稲田大学第一文学部で日本史を専攻。『ブス論』、個人全訳『源氏物語』全六巻(以上ちくま文庫)、『本当はひどかった昔の日本』(新潮文庫)、『昔話はなぜ、お爺さんとお婆さんが主役なのか』(草思社文庫)など著書多数。趣味は系図作り。

絵・こうき