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パヨクのための映画批評 81

パヨク+百合のフルコース映画 「女の園」(1954年、日本)

 

今回は、偶然木下恵介映画に興味を持った私に、「アデイ」編集長がお薦め下さってた作品です。観終わって、映画の方から竹美さんにべっとり寄り添って来るような映画もそうは無いなと思いました。「好きな映画」と「あっちから寄り添って来る映画」ってまた違うのよね…ずっとずっと…憑いて来る…パヨク映画評、日本の昔の映画を振りかえるシリーズ第3弾は「女の園」です。1950年代、規則でがちがちの抑圧的な女子大の寮を舞台に、当時存在感を増しつつあった左翼運動の片鱗、抑圧的な女性の人生、抑圧された台詞の中に見え隠れするレズビアニティ、豪華な女優陣、地味な映像の中にはっとするような美しい一瞬が見えて、盛りだくさんの傑作です。

まず、「レベッカ」のダンバース夫人や、世界の人々を泣かせた日本のアニメ「牧場の少女ハイジ」のロッテンマイヤーさんに並ぶ、五條先生(高峰三枝子)がおいしい!つめたーい顔と声で、寮母長として、国語の教師として厳しく接するの。でもね私もバーフバリ民とか各種ヲタク達と接する中で心に腐葉土が溜まってきたみたい、「おや、五條殿は、芳江を叱りながら性的センセーション感じてござるか?デュフフフ…」という腐女子…いや、腐男子?の目で観てしまうの。他に、どうやら左翼運動と裏で繋がっているらしい反抗的で勝気な明子と、明子にやたらと突っかかる上級生のとし子カプが熱い…とし子は、財閥の娘である明子が、中途半端な気持ちで学園改革を画策しているのではないかと疑っている。「とし子様は、私のことをどうお考えですの?」って明子さん、もう完全にとし子様のペースです…とし子様も別に説明する必要無いのに、「あなたはもっと苦しまなくてはダメです。ダメだわ全然!」と志を同じくする同志であることを告げるの…新しい時代の思想(マルクス主義)の準備レベルを試してくるの。さらに、そこにほのかな思慕の念も差し挟まれて…あきことしこパートだけ観たら、北朝鮮や中国のプロパガンダ映画も真っ青の革命百合映画ですよ。アニメ「少女革命ウテナ」を思い出しましたね。一緒に観た友達が「ウテナでは最後彼女たちは学園を出たけど、こっちの映画では出てはないね」と冷静な指摘をしたわ。その描写の違いこそが何かを物語るのだと思うし、昭和期~平成に至る間に日本人が失ったものと得たものの総決算なのだと思う。是非、比較して観たら楽しいと思うわよ。

明子は財閥の娘でお金持ちなんだけど、親たちは金儲けに走って、兄の戦死を悲しんでいないのではないかと疎外感を感じている。それが彼女を反体制的な組織活動に導き、最後の「分かりませんか、彼女を本当に殺したものが」という社会的抑圧を告発する台詞へと続くの。

おいしいいいいい!!!!!

私は1950年代に大学生(オネエ)だったらちょうどよかったんだろうな、革命にハマれてキモチよかっただろうなと思った。60年代の大学闘争ですら私には遅い。どこで戦慄覚えたかって言うとね、最後の方で、学生たちが各寮から代表を選出して、規則の改定を求めて先生たちに刃向うシーンね。あーこれこれ!学級会とかで得たかった快感ってこれだよ!!!!!と幼い日のクソ欲望を思い出したわよ。いい子、正しい子になりたかったのに、ただのアルコール依存症ぎりぎりのオバジに成り果てた。

でね、そういう自分の意見をはっきり言う「反抗」は「正しい」「いいこと」だって、母に教えられた記憶がある。そこには母なりの非民主的な家庭に対する幻滅があったのかしら。父は当時組合活動で元気だったから、私には遠い存在だった。今思ったけど…サヨク的なことを話したり共有したのは母だったんだね。父から学んだんじゃない。母経由の赤化浸透だったから、無自覚的で深いものになったんだな。ちなみに父は、この映画で言えば、途中で出てくるお正月のシーンで、コマを回して遊んでいた男の子の年齢だったはず。そうか、こういう空気の中で育ったんだなと理解した。

木下作品を見ていると、今の日本とほとんど変わっていないものが大変多いということに気が付かされる。その感覚は、私は黒澤明の映画からは全く察知できない。黒澤映画は映像がかっこいいし、娯楽性と、力強い日本の昭和を感じさせてくれはするけど、正直、私にとっては居場所のない世界なの。木下世界は、どことなくファンタジックな所があって、特に男性が優しく柔らかいのが特徴だと思う。「破れ太鼓」「衝動殺人 息子よ」でも、マッチョな持ち味の俳優を起用して男の優しく弱い側面を表現させている。

本作では、主人公芳江の彼氏は優しいし、甲斐性も愛情もある男性として描かれたものの、芳江の追い詰められた心境を分かってあげられない。そこは切ないが、却って現状に対して正直でよかった。「ロマンチック系神経衰弱」という単語が出て来ましたよ。そう、恋して追い詰められた女(とオネエ)は神経衰弱ギリギリの女たちだとペドロ・アルモドバル姐さんが教えている(彼氏ができた竹美さんが錯乱するのも時間の問題)。芳江は思いつめ過ぎてちょっと重たい女。でも、彼女を追い詰めたものが何であるのかと考えていくと、最後の社会的なテーマに繋がって行く。そこの流れ方がとてもねえ…左翼が元気になる未来を感じさせるの。1950年代の日本においては、あのラストに現実感があったのだと思う。新憲法が決まり、戦争を放棄してほっとした日本国民は、経済的繁栄と共に、社会変革にも希望を見出したはず。再軍備のことがちらほら出てくるけれど、『田中角栄回顧録』を読む限り、当時の日本の指導部に「また戦争したい」という意思があったとは思えない。日本は、アメリカの核の傘に注意深くとどまり、周辺国との関係改善にも取り組んだ…冷戦崩壊までは有効だった枠組みの中で。

本作は、ゲイ受けするような小ネタも巧みだし、昨今のLGBT応仁の乱に疲れたオネエのあなたは、本作と「カルメン純情す」を観たらいいかもしれない。左翼がまさにこれから活気づく時代を描いていると同時に、「カルメン」では左翼運動への揶揄もちらっと感じられる。木下映画は、日本社会の問題に直面させられ悩んでいた前衛とは、教育レベルの高い若い女性たちだったのだと教えている。男性の労働者達ではなく、彼女たちにとってこそ社会改革が必要だったのではあるまいか。そういうことを戦後左翼は軽視してはいなかったか。再点検にもいいでしょう。

ちなみに私の目には、木下監督自身はあんまり左翼にハマっていないように見える。それゆえに彼女たちの苦悩と青春を描けたのではないかなと思われる。

 

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。