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パヨクのための映画批評 82

「分かってる」じじぃという虚構 「運び屋」
(”The mule”、2018年、アメリカ)

 

パヨクリハビリ中の皆さんにとって、2019年のオスカー候補と受賞はどのように見えたかしら。今回取り上げた映画「運び屋」は完全にオスカーの候補から無視されています。分かりやすさ、真摯なメッセージ、色々考えさせてくれる描写、じじぃの雄姿等、「アメリカン・スナイパー」を候補にしたのなら絶対無視できないデキのいい映画だったのに。どんなお話かと言うと…

一人で花の農園をやっていた80代の老人アールは、事業に失敗し、遂に家を手放すことになってしまった。離婚した妻とも、子供たちとも疎遠でどうしようもなくなったときに、ある運び屋の仕事を請け負う。車で移動するだけで驚く程の大金が入ってくる仕事で、新車を買い、孫の結婚式にお金を出し、退役軍人のための集会所を回収する等、得たお金で「よいこと」をしていたのだが、実はそれはメキシコのカルテルが支配するコカインビジネスの運び屋の仕事だった。

久しぶりにイーストウッド映画を観て、こんなに分かりやすくて真摯な映画を作れる人なんだと改めて認識しました。前半は、イーストウッド扮するアールじいさんの身勝手さや「男特権」に軽くイラつくのだが、段々「じいさんもつらいねえ…」と感情移入しつつ、「まあそれはあんたが悪いわ…」とバランスよく観ることができるように作ってある。ハリウッド映画のお手本みたいな映画だわ。

イーストウッドさん自身はポリコレ的な空気が大嫌い、と言ってた記憶がある。ポリコレ遵守基準で観ると、びっくりするような台詞をジジィが言うわけよ。でも巧みなのがさ、「朝鮮戦争行ってたような世代なら仕方ないか…」と思わせてくれることね。しかも彼は「ちゃんと物事を学べるじじぃ」として描かれている。そこが賢い。

彼は親切だから、運び屋仕事の途中で、ギャングから「寄り道するな」としつこく言われていたのにも関わらず、路肩でパンクして動けなくなってる一家を助ける。黒人一家でプリウス乗ってるからそれなりの所得階層であるのだろう、でもスマフォの電波が入らないから助けを呼べない。そこでじじぃがタイヤの取り換えやってあげるのよ…若いもんには負けん、とこれほどまでにじじぃを持ち上げる映画も無いね。もちろん、スキルがあってチャーミングなじじぃなら誰でも歓迎するでしょう。手より口ばっかり動くじじぃは老害だもん。そのシーンで、アールは「ニグロ」という言葉を使う。もう今の時代、その単語は使っちゃいけない用語だから、当惑顔の一家が「今はそうは言わないんですよ」と教えたら「あ、そっか」と収まる。似たようなやり取りがレズビアンのバイカー集団と遭遇するシーンでも出て来るし、自分の農場のメキシコ人従業員とのやり取りにも感じられる。

これねー…どう取るかは人によりけりだけど、ポリコレ全盛のハリウッドにおいてよくこれ言ったなという気がしたよ。久々にあたしのフリーズドライ状態のパヨク魂を刺激された。マジョリティであるアールの側は、「知らないで差別用語言っちゃったけど許してね、悪気無いから」という感じですっと理解するけど、それ言われた側はどう感じるのかしらと気にはなるよ。私でも。アールという「学ぶ親切じじぃ」だから、その態度と言葉が許容されるのよね。それを実在した人物に重ねてしまうというバランスのとり方が巧いし怖い。このじじぃは虚構だと分からなくなっちゃうから。

「メキシコ」の描き方も面白い。映画冒頭のアールの農場ではメキシコ系の従業員が働いているが、アールはヘタクソなスペイン語でジョークを言い、それ程親しいのだと表現している。アメリカでコカインの受け取りをするメキシコ系のギャングたちとも仲良くやっている。麻薬捜査官にもメキシコ系が出て来るし、捜査官たちがスペイン語の全く話せないヒスパニック系アメリカ人を麻薬の運び屋と疑って取り調べるシーンも出てくる。アールの監視役のメキシコ人ギャング、フリオは、じじぃの老獪さやユーモアに惹かれて打ち解けていくんだけど、アールはフリオに「人生で本当にやりたいことを探しなさい」と、余計なお世話と知りつつアドバイスする。じじぃとして言えるギリギリの助言だったと思うけど、その後のフリオとアールの描写を比較すると、アメリカとメキシコ(特に北部)の状況が鋭く対比されているように思う。また、運び屋の仕事をアールに紹介するのは、ヒスパニックのアメリカ人男性。アメリカ人から見たメキシコ人が重層的に描かれているのね。ハリウッド映画では、「アメリカの役に立つ定着メキシコ人」と「メキシコ人ギャング」をはっきり分けて描写し、自分たちは「移民に寛大なアメリカ人ですよ」とアピールするという一石二鳥をやろうとしているようで、本作はその王道とも言えるでしょう。

コカインとメキシコという観点から言うと、保守のイーストウッドにとっては、薬物の問題は言うまでも無く「悪」で、そんな運び屋なんかやっちゃって金儲けていい気になった罪悪感と、家族への罪悪感や後悔が二重にじじぃを責める…という美しい落とし方にしたかったのかもしれない。でも、画面からは、コカインの問題性にも、コカイン消費が中米にもたらした状況についても何も読めなかった。イーストウッドですらもうこの問題については諦めてるんだね。

昨今のリベラル映画全盛の中で、保守のイーストウッドと政治的に共闘できそうなハリウッド・リベラル映画がある。冷戦時代、NASAでは人種と性別の偏見を超えて優秀な黒人女性が登用されていたという実話映画、「ドリーム」よ。「戦時下では、実力さえあれば出自は問わない」という条件が整った場合にはじめて、マジョリティとの軋轢無しに社会がリベラル化し得るという状況を描いている。国益に適う「正しいアメリカ人」でさえあれば、それぞれの信条や価値観、生き方や性別なんて何でもいいっていう意味では、イーストウッド的だと私は思うし、パヨクの残りかすとしての私には、「ドリーム」を手放しに称賛していいのかどうか分からなかった。反体制志向のアメリカの左翼には、その主張は巨大戦艦アメリカの上でのみ成立するのだという矛盾をどうしても感じてしまう。主張する人の責任ではないけど…。その意味では、CIA工作を100%共感できるような正義として描く、「アベンジャーズ」みたいな映画を喜んでる方がまだ筋は通っている。「女の園」とはまた違った意味で自分の立ち位置を思い出させる映画だったわ。

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。