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『新宿二丁目』刊行記念、対談!

「伝統的なゲイバーが絶滅危惧種になった」前編

らくさん(ISLANDS)✖ 伏見憲明(A Day In The Life)

 

伏見憲明著『新宿二丁目』(新潮新書)の刊行を前に行われたゲイバーの”ママ対談”。まだ新人ママの伏見が、ベテランのらくさんに二丁目のゲイバーをめぐるあれこれをご教授いただいた。ゲイバー学のことはじめ !?
(2019.4.13 A Day In The Life にて)

 

・脱サラでゲイバーを始めたのが珍しがられた

 

TRPで先頭のフロートを歩くらくさん

伏見:今日のトークのゲストは新宿のゲイバーの老舗で、今日、最も成功しているゲイバーの一つである『ISLANDS』、らくさんです。

 

らく:よろしくお願いしますー。

(拍手)

伏見:らくさんは僕が尊敬してやまないマスター。ニッチ層向けのアデイと対照的で、ISLANDSさんは正攻法で伝統的なゲイバーですよね。だからこそ勉強になります。あと、らくさん以上に二丁目を知っている人は他にいない! 会社員時代の名残か、ゲイバーに関するデータ収集・分析に余念がない(笑)。だから今回お招きしました。
まずは営業方針について聞きたいんだけど、ISLANDSは女性は入店できないんですよね。

らく:基本的に入れないんですが、常連のお客さんがどうしても女性を連れて来たいっていうときは、その場にいるお客さんの了承を得て入店してもらいます。

 

伏見:そこも伝統的なホモバーのスタイルですね。ちなみに女装は入れるんですか?

 

らく:入れますよ(笑)。でも、古くからのスタッフでもあるエスムラルダは、普段ドラァグクィーンとして活動していますけど、お店ではスッピンですね。

 

伏見:そうなんだ。ちなみにらくさん、おいくつでしたっけ?

 

らく:今年で54歳です。

 

伏見:僕より二つ下。らくさんは若い頃からテニスがとってもお上手でね、僕も昔ときめいたことがあるくらいでモテモテでした(笑)。

お連れ合いとISLANDSを開店したのは何年でしょうか?

 

らく:1995(平成7)年ですね。

 

伏見:今年で24年目! アデイがちょうど6周年だから4倍くらいですね。こっちは6年しかやっていないのに辞めようかどうか悩んでるのに(汗)、その4倍の年月を継続するっていうのは、想像の及ばない域ですね。
らくさんはもともとメーカーで働いていたんですよね。

 

らく:そうですね、IT系で営業職でサラリーマンをしていました。7年勤めました。

 

伏見:今みたいな時代じゃないから、当時のサラリーマンって、ボーナスの時に上司に無理やりソープランドに連れていかれたり、けっこうエグい世界だったんですよね。

 

らく:そうなんですよ。でももしかしたら今も変わらないんじゃないかなあ…。

 

伏見:それで、そんな普通のリーマンがなんでゲイバーを始めようと思ったのでしょうか?

 

らく:お店を始める4年前から付き合っていたパートナーが「ゲイバーをやりたい」と言い出したんです。お店を始めた頃は二十九歳だったので、2、3年やって上手くいかなくてもまだサラリーマンに戻れると思っていました。でも気づいたら戻れない年齢になっていました(笑)。

 

伏見:以来、サラリーマンに戻ろうと思ったことはないんですか?

 

らく:ないですね。

 

伏見:僕はしんどくてしょっちゅう「店を閉める閉める」って言ってるんですが(汗)、らくさんはお店を辞めたいと思ったことはありますか?

 

らく:大変な時期もあったけど辞めたいと思ったことはないですね。

 

伏見それってうちと比べて客に恵まれているから?

 

(アデイのお客さんの爆笑)

 

らく:普通にサラリーマンをやっていたので商売の経験はなかったんです。でも、お店をやっているうちに面白くなりました。結局、凝り性なんですね。

 

伏見:なんで経歴を聴いてきたかというと、大昔はゲイバーのママをやることって「人生を捨てる、人間を辞めます」みたい選択だったんですよ、大げさではなくね。とくに黎明期は。

 

らく:ISLANDSを始めたのはバブルの少し後だったんだけど、バブルまでに始めたお店のママたちはだいたいどこかの店で修業を積んでいて、その後に自分のお店を持つことが多かったんです。だからゲイバーでのアルバイト経験がない僕たちがいきなりママから始めたっていうことで、ずいぶん物珍しがられました。

 

・営業マン時代は、風流が通じなかった

 

伏見:つまり、脱サラでゲイバーを始めるっていうことが1995年当時でもレアケースだったんですね。でも、それだけ「ゲイバーをやる」っていう選択が難しい時代だったと思います。終戦後の最初期のゲイバーの多くは、ゲイバーを開業したというより、飲食店を始めたらゲイの友人たちが集まって来て結局ゲイバーになったみたいなパターンで、積極的にゲイバーをやろうっていうのでもなかった。その後の人たちだって、家族とかに胸を張ってゲイバーやってます、というのはそうそうありえなかった。

 

らく:あと昔は、女性と結婚しているけどもゲイバーのママをやっている方がけっこういたんですよ。

 

伏見:そうですね、古い世代のゲイは世間体的に結婚する方が多かったから、ママでもそういう人っていた。90年代になってすら、会社を辞めてゲイバーを始めたらくさんの決断は相当な覚悟が必要だったと思うんだけど、やっぱり共同経営者でもある相方さんとの愛ゆえの決断?(笑)

 

らく:うーん、正直に言うと僕がもともと勤めていたのは大きな会社で、しかも営業職だったから、取引先とか色々なところから「結婚しろ」って言われていたんです。実際に釣り書きを用意されたこともありました。それに、三十歳手前だったから同期が次々に結婚していくんです。それでどんどん苦しくなって「この会社にいたらやばいな…」って思ったっていうのもありました。

 

伏見:ある意味、それもゲイ差別的なことだよね。昔は今とは比べものにならないくらい結婚圧力はきつかった。それがゲイにとって何よりの悩みだった。

古い話になりますが、今回の『新宿二丁目』を書くにあたって色々な資料を調べたり取材をして分かったんだけど、初期のゲイバーって警察からの嫌がらせみたいなことがあったんだよね。とくに前回の東京オリンピックの前には東京浄化運動みたいな動きがあって、ゲイバーは相当いじめられた。だから、ゲイバーをやるっていうことは個人的にも社会的にも大変なことだった。

らくさんはお店を始める前から二丁目で飲んでいたんですよね?

 

らく:そうですね。週4、5日は飲んでました(笑)。夜中の12時に仕事が終わっても、タクシーを飛ばして飲みに来てました。

 

伏見:そんなに! やっぱり若いから性欲に突き動かされてですか?!

 

らく:いや、目的はほとんどお酒だったんですよ。もちろん週末は男漁りもしていましたけど(笑)。

 

伏見:ストレスだったんですね。以前にうかがった、らくさんのサラリーマン生活にまつわる話ですごく印象的なのがあるんです。ほら、季節の話…

 

らくあー。日差しはまだ強いけど、秋に向かっていく時季に上司と取引先へ歩いていたら、いい風が吹いたので「今日はちょっと秋の感じですね」って言ったら、「こんなクソ暑いのに何言ってんだ」って返されました。それで、会社の人にはこういう会話が通じないんだなって思ったんです。

 

伏見:リーマンの縦社会では風流が通じない。二丁目だと男同士でも「桜が咲いたね」とか季節の話も普通にしますよね。

 

らく:そうそう。だから、二丁目で話ことと会社で話すことはきっぱり分けていたんです。

 

伏見:じゃあ会社では「ゲイ」っていうことはまったく出さなかったの?

 

らく:そうですね。営業職だったし、スポーツ紙も取って前日の野球の結果とか、ノンケさんの好きそうなことを勉強していました。野球なんか全然興味ないんですけど(笑)。

 

伏見:そういう苦労をしている人って最近は少なくなりましたよね。→