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「私の二丁目デビュー」2 神名龍子さん(トランスジェンダー)

後編「私にとっての新宿二丁目は、近くて遠い街」

新宿二丁目はゴールデン街や新宿三丁目の女装バーで育った神名龍子さんには異文化だったと振り返る。そして現在の神名さんにとって性別とは何か、トランスジェンダーであることはどういう経験なのか。斯界の論客が語る!

 

・「EON」は情報交換の場

女装バーに2年間働いていた時代は、女装というのはまだ「うしろめたい世界」ですから、そこそこ仲良くなっても住所は教え合わない。携帯もない時代で、家電(いえでん)しかないから、電話番号も明かさない。せっかく出会いの場があっても、人間関係の広がりに限界がある時代でした。

そこで一計を案じたというか、こんなのがあったら便利だよね、ということで、パソコン通信をネットで起ち上げたんです。1990年のゴールデンウィークのことでした。厳密に言うと、まだインターネットじゃなくて、一部の人だけがアクセスできるパソコン通信。そうしたら他の「同好の士」も、あぁそれいいよねって参加してくれるようになっていったんです。今みたいにWindows じゃないし、PC自体を持っている人数もまだ少なかったんですけど、なかにはそれをやるためにわざわざパソコンを買ったっていう人も当時は結構いたんですね。なにせパソコン通信をやっているというだけで、「あ、(パソコン)オタクだ……」って言われるような時代でしたから(笑)。

それが「EON」(エオン)という会議室でした。始めたとき、私自身は、ただでさえ発展途上なパソコン通信の人口のなかで、女装ということで集まってくる人なんて、たぶん100人もいないだろうと思っていたんです。でも何年か続けていくうちに、IDナンバーで1470番くらいまでいきましたから、えらいことになったと、ちょっぴり怖くなったりもしました。

書き込みの内容は、圧倒的に情報交換が多かったですね。例えば、服や靴をどこで買ったらいいかといった。私たちの場合、靴が欲しくても、一般のお店で売っているのはせいぜいサイズが25くらいまでしかない。そういうやりとりをする掲示板があって、そのなかで必要そうな情報を抜き取って、また別の掲示板に載せるような情報提供もする。

それ以前の情報交換というと、エリザベス会館で出している『くぃーん』という女装雑誌が2ヵ月に1回刊行されているだけ。その雑誌の後ろのほうに文通欄があって、そこにメッセージを載せたり、掲載されている情報にメッセージを送ったり。でも、結局編集部を介するから、2ヵ月後にならないと読めないわけです。だから2、3回やりとりをすると、半年とか1年がすぐに経っちゃうんですよ。それに対して、パソコン通信なら即日に応えが返ってきますから、当然需要もあったということなんでしょう。

でもその段階では、まだ社会というものとつながっている感じはなくて、あくまでもアンダーグラウンドな趣味のネットワークでしたね。

 

・私にとっての「二丁目」はカルチャーショック

「嬢」で働いたのが89年からで、その後パソコン通信を運営する会社に引き抜かれたのが、91年のことでした。結局9年くらい、その会社でネットの運営・構築のお仕事をやったんです。

警察から夜の女装のお仕事に行って、今度はIT。我ながら訳のわからない時代でしたね。なにせ、女装のお店の従業員をやっていたときに引き抜かれたから、会社の人間はみんな私がどういう属性かわかっているんですよ。おかげで、後からカミングアウトする必要がない、という(笑)。

当時は花形だったIT企業も、バブルが弾けた数年後に、お給料が遅配になってきまして。そのときに週末だけ、二丁目のお店である「花道」で働かせていただきました。夜のお仕事で、足りない分を埋めようとしたんですね。

これが私にとって初めての二丁目体験というわけでもなくて、それまでにも「嬢」のママなどに、お客として二丁目のいわゆるホモバーなどに連れて行ってもらったりしたことはありました。そのときの実感は、とにかくカルチャーショックと言いますか、「ものすごく違うなぁ」って(笑)。少なくとも、自分と同じカテゴリーじゃないと、強く感じましたね。他にも「ルージュ」などのニューハーフのお店に連れて行ってもらったことがあったので、二丁目自体は馴染みのないエリアというわけではなかったんです。

でも、それらはあくまでお客として、自分にとっての「異世界体験」をさせてもらっただけのこと。内側に入って二丁目の一員になったというか、「自分たちの街」感が生まれたのは、この「花道」勤務によって、ということになりますね。

二丁目の「花道」ではいろいろと新しい経験をさせていただきました。基本的にお客様はノンケの、女装ではない男性ばかりで。カウンターはほとんど使わずに、ボックス席についての接客でした。けっこう広くて、フロアがよく見えるお店でしたね。私がいた時期はショーのようなことはやっていなかったんですけど、「花道」ができたばかりの頃はショータイムがあったと聞きました。場所は二丁目といっても同僚にゲイの方はいなくて、基本的に恋愛対象は男性でも、ホルモン注射をしたり、いわゆるMtFトランスセクシュアルの子もいましたね。ドラァグクィーンのようなキャラクターはいなくて、そういうのはむしろホモバーの領域という印象がありました。

お店は流行っていましたね。週末ともなれば、もう混み合って。だからこそ、「手が足りないから、ぜひ来て!」と、私のようなニューハーフ属性じゃない者にもお声がかかったんじゃないかと思います。

 

・二丁目に女装バーが進出した90年代

それまで馴染んできたゴールデン街や新宿三丁目の女装バーと、ニューハーフバーの顕著な違いは、料金でしたね。最低でも、セットだけで7000円、途中から8000円になりましたから。私がいたお店が特別だったわけじゃなくて、どこでも似たようなものでしたよ。二丁目のニューハーフバーだと、そのくらいが相場で。

ちょうど私が花道に入った頃が、三丁目から二丁目に女装バーが進出してきた時期でもあって。ですから90年代に入ったあたりからですね。二丁目にも、ゴールデン街や新宿三丁目にあった女装バーが開店するようになっていきました。プロではない一般的なトランスの人たちも、二丁目を目指してやってくるようになったんですね。

今はもうなくなっちゃったお店もあるんですけど、私が把握している限りだと、「えみりん」や、のちに閉店してから歌舞伎町のほうで再開した「サイクル」など。「スワンの夢」も有名なお店でしたね。それから、ラシントンパレスに入っていた「アクトレス」。その後、このアクトレス系列で何軒か増えていったんですけど。

この頃では「女の子クラブ」や「フリーメゾン」なんてお店も、新しくできましたね。

最近の風潮では、「女装系と言えば、秋葉原でしょ?」というくらいあちらでは盛り上がりを見せているようですけど、あれは私たちの感覚からすると、ちょっと別口ですね。どちらかといえば、コスプレ的なカルチャーですから。→