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パヨクのための映画批評 88

人生ってうるさいものですね 「神経衰弱ぎりぎりの女たち」
(”Mujeres al borde de un ataque de nervios”、1987年、スペイン)

昨年夏頃、ラテン系の男性との関係でボロボロになっていた他のお友達と一緒にラテン男失敗同盟というのを結成したのね。それって結局外れクジを選んじゃった負け犬サンバカーニバルってことなんだけど…うまく行ってるラテンカップルも山ほどいるのに、どうして私は…ってそれぞれ考えたんだね。今回の映画は、そういう私にべったり寄り添って来る映画。

映画の吹き替えをしている女優のぺパ(カルメン・マウラ)は、男優のイバンと同棲。ところがある日帰ってみるとイバンの姿は無く、置手紙のような留守番電話の録音が残されていた。私は捨てられたッ!!!瞬時に発狂するぺパ。こうなったら実家に突撃だ。2人で住んだこの家も貸しに出そう。どこだ、どこにいるんだこのクソオヤジ(ああんでも愛してるのよおお)。同じ頃、親友のカンデラは、同棲していた恋人が隠れテロリストであることをテレビニュースを見て動転、ぺパの家に転がり込んでくる。そんなとき、イバンのおっとりした息子カルロス(アントニオ・バンデラス)が恋人と二人で、貸しに出されたぺパの家を内見しにやって来る。他方、カルロスの父、イバンの妻(?)ルシアは心を病んでおり、復讐の機会を待っていた…。何かぐったりしてきた。以外にも、イバンが見つけた新しい恋人の弁護士が性格悪くてうるさい。とにかくみんなうるさい。イバンもどうしてこんな女たちがいいのか不思議…

1980年代のペドロ・アルモドバルさんは、こういう映画ばっかり描いて来てたんだね。私、正直この映画、初めて見たときはピンと来なかった。分かるようになってしまったのは、去年、自分が恋の病の神経衰弱ぎりぎりのオネエになってしまったから。元々私はそういう気質はあったけども、去年のは我ながらなかなかのデキだった。「結局のところあの人は私を愛さなかった…」(かすれ声)だの、「置いて行かれた」という呪いに苛まれたり、会社でいきなり泣き出したり、ひどく泥酔したり、彼の好きだった食べ物を食べられなくなったり、「嘘つき…嘘つき…」と工藤静香になったりしていた。彼に対する自分の失態を心の中で都合よく誤魔化し、すっかり呪いオネエとなり、まあひどいもんだった。インドという逃げ場が無かったら、今どうなっていたか分からない(それも新たな神経衰弱の始まり?クククク…成長しないのが竹美さんです)。

でも最近は、自分の不遇を男のせいにしようとすると頭の中のエスムラルダさんが「そうよ!あたしもバカよ!」と叱咤してくれるので正気に戻れる気がする。罰を喰らえ愛で(私が)。

恋に狂った女またはオネエの状況破壊力はすごい。健全な精神を持つ人にとっては、そんな人が1人でも近くにいたら普通に困っちゃう。本作は、タイトルもうるさいのだが、冒頭のスペイン演歌も「あたしは不幸だわ~あなたがあたしを愛さないんだから」とめんどくせえ。でもさあスペイン語で「No puedo vivir sin ti」(君無しでは生きられない)とか言われたらはああああんってなるじゃんね(あんた言われたことあるわけぇ~?)。

ペパも大騒ぎするよ。電話ぶっ壊しちゃったり(唯一の連絡手段なのに!)、ショックをぶちまけたい親友カンデラからの電話を無視したり、彼のものを燃やし始めてしばらくぼーっと見つめたり、睡眠薬入りの冷製スープ「ガスパチョ」をこしらえてみたり…ペパの暴走ぶりは、「あたしは自分のことは分かってんだ」と言うのは所詮オバジの虚勢であることを暴露する。カンデラの被害妄想ぶりもなかなかにイタい。あんな男って知らなくて付き合っちゃった…警察が来たらどうしよう…あたしも逮捕かな(おや、竹美さんどうして震えているんだい…)、そして死ぬ気も無いのに自殺すると騒ぎ出す。そんな中で冷静なのは、カルロスの恋人、マリサ(ロッシ・デ・パルマ)ただ一人。このロッシ・デ・パルマの顔が強烈でショックを禁じ得ない。そして異様に強気。初対面のペパに対して「あたしを子供あつかいしないで頂戴」と剃刀反応を見せたり、カルロスをいびったり、彼女が出て来たらもう彼女のことしか頭に残らない。前期アルモドバル映画には正統な美人女優はほとんど出て来ず、男顔の女優が集められて大騒ぎしている(後年の「ボルベール」もペネロペクルス以外は相変わらずの面構え…)。まるでドラァグクイーンの楽屋のようだ。女のきれいさとか男向けの色気とか、シンメトリーな美とかでは、どろっどろした感情とか、自分でもよく分からない欲望とか、大事なものを失ってみっともなく泣いたり怒ったりする情動の生々しさを十分に表現できないのかもしれない。

すったもんだの結果、ペパはぼろぼろになった自宅に戻ってくる。あー疲れた。でもまあ、おばちゃんはしばらくは自分のために生きるから、心配しないでねという感じで終る。でももう、多分ペパより上の年齢になった私は「しばらく潜伏するけど、また暴れる準備はできてるから楽しみにしててね!」という予兆に見えてくる。

この映画が扱っているのは、仏教で言うところの愛別離苦。そんなのに憑かれた人間は放射性物質と同じ。迷惑よ。なのでね、恋に破れて泣いたり飲んだくれたりする神経衰弱ぎりぎりの人騒がせ女(とオバジ)が周囲にいたら、皆さんは、ちょっとだけ距離を置いて、エンタメとして腹の底から笑ってあげたらいいと思う。恋の神経衰弱に陥った人は、せめてそうやって人の役に立つがいいわ。思い切り笑いとばしてくださって結構よ。もっと優しい方は、逆に真剣に怒ったり罵ったり、あざけったり、或いは一緒にご飯食べたりちょっとだけ泣いてあげたり…それらすべてがお祓いになる。言われる方は、無責任に人に色々言われて、時には傷つくんだけどさ…結局、他人経由で自分の醜態を俯瞰するしかないんだよ。ちなみに、周りの皆さん、笑い声もその人の心に聞こえてないときは、その人は鬼と化している可能性もあるから、強力な陰陽師に相談してください。

本作は、恋の苦痛を何とか飲み下し、しばし冷静になって自分のために生きなさいと諭す、若きアルモドバル姐さんからの恋のアドバイス。どうせまた同じことしちゃうんだからさ、次は前より痛くない転び方したらいいのよ。もっとひどく転んでも、皆が笑いとばしてくれる間は、あなたは大丈夫だからね!

 

執筆者・竹美

ほぼカムアウト状態の会社員。九州のパヨクな家庭に育ち、パヨク思想に染まっていることに無自覚なまま二十歳を迎え、周囲の同級生が順当に就職活動を開始した頃、全然やる気になれず焦って大学院へ逃亡。それが、「企業=金儲け=巨悪」だと信仰していたためだと自覚したのはその10年後。「思想転向」のリハビリ過程で、「真っ先に悪を告発する紅衛兵」の素養を小学生位のときに発揮して同級生にウザがられていた記憶もフラッシュバック。

このコーナーでは、映画を通じて「私やあなたというパヨク」の滑稽で哀しく、正しくて誤っている物語を発見していきたい。